栗本高行(美術評論家)
思想課題としての「線」
近現代の美術史をひもとくと、「色彩」と並んで造形の基本的要素とされる「線」は、その発展段階によって二種類の機能に区別されることがわかる。まず、物の輪郭をかたどることで、実像・虚像を問わず、具体的な対象を空間の上に出現させること。そして、対象描写から離れることで、それ自体がアーティストの肉体や精神の純粋な記号として、空間の中で抽象的な運動を繰り広げることである。
これは、他動詞的な線と、自動詞的な線との相違だと言い換えることもできる。20世紀初頭に誕生した抽象芸術やシュルレアリスムは、後者に市民権を与えるものでもあった。ドローイングを重要な表現手段とするアーティストたちは、それら新しい美学がもたらす世界観と、従来の美術における規範的なものの考え方の間で、「線」の概念そのものをとらえ返し、多様な実験に乗り出していったのだ。
21世紀を生きる美術家として、鈴木ヒラクは「線」をめぐる哲学的な問いに対峙し続けてきた。彼のドローイングは、「他動詞的な線と自動詞的な線の相克」という歴史上の文脈に新しい一石を投じる、鋭い造形思想の表白である。
「鈴木ヒラク『今日の発掘』」展会場に設置された代表的な三つのシリーズ―〈Constellation〉〈Interexcavation〉〈隕石が書く〉―に含まれる作品群を見ると、どの空間も輪郭線を描くことから解放された抽象的な線条の集合によって構成されている。だが、よく観察すると、モノクロームの地に浮かぶ銀色の線には、その一本ずつが何かの記号をかたどったものではないかと思わされるような、ある種の規則性がある。漢字でも仮名でもアルファベットでもないが、未知の文明に属する文字を目にしたごとく、秘密の図ないし暗号めいた対象として、それらのドローイングの線を受容し、眺め入ってしまうのだ。
表現されたものが完全に自動詞的な線だけであれば、眼前の軌跡を「Xとして」認知することはないだろう。しかし、鈴木のドローイング空間には、明らかに求心的な構図が採用されており、多数の銀色の線が、無造作にではなく整然と集合した状態で定着されている。そのため、線相互の関係においても、鑑賞者は特定のパターン認識に至ろうとして、なかば無意識な努力を重ねていくことになるのだ。このとき、自律的に動いているかに見えた線の軌跡は、不定の対象を形成しようとするベクトルを内側に孕んだ事物へと変化している。すなわち鈴木ヒラクにおいては、他動詞的な線(具象性)と自動詞的な線(抽象性)が、コインの表裏のように一枚の作品の中で結合しているのである。
人類史の根源へつながる表現として
日常的な事物とは対応しないが、すこぶる記号的であるという点では、具体的な意味世界への連絡を予感させる線の群れ。それでいて、解読のコードはどこにも見当たらない。あえて定式化すれば、概念の手前に留め置かれた線が、未詳の符号を空間の中に描き取っている。
このように考えを進めていくと、鈴木ヒラクのドローイングにおける線は、具象表現と抽象表現の「中間地帯」を鑑賞者に対して可視化するはたらきを帯びていることがわかる。言い換えれば、特定の物の姿を「再現する」ことを放棄する一方で、未知の記号を支持体の上に「記録する」ために線が引かれているようにも見えるのだ。しかしながら、鈴木が目指している芸術は、描写絵画を否定して、広義の文書に至るというような単純なものでもない。そのことは、彼自身がつとに言明している。
ドローイングは、絵とことばの間にある。かつて、“描く”と“書く”は未分化であった。(1)
人間が書く「ことば」は、造形作家の視点から眺めれば、抽象画のモチーフに属する外観を持っている。キュビスムの画家のみならず、アドルフ・ゴットリーブ(1903–1974)やウィレム・デ・クーニング(1904–1997)のような抽象表現主義の作家が、みずからの画面に文字的な形象を取り込んだ事実は、その証左である。言語の視覚的な受け皿である「文字」は、エクリチュールの場に登場するだけではなく、絵画としても表されうることが、かつて新鮮な驚きとともに「発見」された。
そうした美術史的な前提を踏まえた上で、鈴木は「描くこと(ペインティング)」にも「書くこと(ライティング)」にも与しない第三の道として、「線を引くこと(ドローイング)」にあえて照準を絞る。絵画史と文学史の広大な沃野の間隙を縫うようにして、ドローイング表現の系譜という隘路に思考の歩みを進めるのである。上に引用した彼のステートメントは、以下のように続いている。
古代人は、いわゆる言語を使い始めるずっと前に、そこら辺に転がっている石や、洞窟の壁や、マンモスの牙に、天体のリズムを刻んだ。人間はそうして記号を発明し、文字や言語を生み出すことによって、常に未知なるものとして目の前に立ち現れてくる世界の中に自らを位置づけ、世界を研究し、世界と関わり合いながら生き延びてきた。(2)
この文言から、鈴木の大胆な造形思考の一端をうかがうことができる。すなわち、ドローイングは、先史考古学の尺度で計られなければならないほど、人類の太古の記憶と強固に結びついた表現の領域だとされているのだ。そして、そうした主張を肉付けしていく過程で、彼の思考が何度も出会うことになったのが、石器時代の線刻画である。特に、洞窟の壁面に残された記号的な線の刻み目が、制作を進めていく上での重要な参照源の一つとなっている。
洞窟壁画と言えば、ラスコー遺跡に代表される迫真的な動物の描写を思い浮かべがちである。しかし、鈴木ヒラクが着目するのは、画材を塗り重ねてできた狩猟の場の情景ではなく、岩壁を削り落として造形された抽象的な記号の方なのだ。本稿でこれまで用いてきた言い回しによって整理すれば、先史時代の人類の芸術活動の痕跡には、「他動詞的-具象的なペインティング」と、「自動詞的-抽象的なドローイング」へ向かう双方があるのだが、鈴木は、後者の傾向と自己の制作をリンクさせることで、現代における「線」の思想を鍛え上げようとしている。
ただし、ペインティングを切り離したとは言っても、そこに立ち現れるのは自動詞的な線だけではない。他動詞的な、つまり、自己以外の対象を拠りどころとして次なる何かを生産するような性格を有した線との間にも、不可分な関係が保たれている点が鈴木作品の真骨頂なのである。
ここで問われるべきは、ドローイングとライティングの秘められた概念上の交通に他ならない。
宇宙を「搔く」
鈴木ヒラクのドローイングは、先史時代の線刻表現との直感的な類似を見せるだけではなく、宇宙における地球外生命体とのコンタクトのような、SFめいた場面への連想をも許容するヴィジョンを提供している。過去と未来という時間のベクトルの違いはあるが、人類の想像力の限界を覗き込むにふさわしい「場所」であるという点において、洞窟遺跡と宇宙空間は通底するため、鈴木は意図的にこの二つを重ね合わせているように思われる。
そして、その際に、彼の中で思考の蝶番となっているはずの固有名詞を挙げることもできるだろう。すぐさま思い浮かぶのは、人類の思考表現に対する線刻画の根源性を「グラフィスム」という術語で主張したアンドレ・ルロワ=グーラン(1911–1986)や、〈隕石が書く〉シリーズのネーミングおよび制作法の着想源となった著作『石が書く』(1970)を書いたロジェ・カイヨワ(1913–1978)といった学者や思想家である。
だが、ドローイングとライティングの内在的な論理関係を整理するために必須なのは、むしろアメリカを代表する抽象画家の一人であるマーク・トビー(1890–1976)の名だ。この美術史上の先達の思想と作品を経由することで、鈴木ヒラクが練り上げた「ドローイング」概念の本質が十全なかたちで明らかになるのではないかと考える。
トビーは、1930年代の半ばに、抽象表現主義の作家たちに先がけて、「オールオーヴァー」の様式に到達したとされている。それは、中心と周縁から成る構図を排し、画面を無数の細い線条で均質に覆うというものである。ただし、ニューヨークを拠点としたジャクソン・ポロック(1912–1956)のような画家と彼が決定的に異質なのは、太平洋をまたいだ中国や日本の書芸術を実地に学び、それを宗教的な宇宙観と結びつけた「ホワイト・ライティング」という言葉を用いて自己の様式を規定した点である。(3)「ホワイト・ライティング」の作品における蜘蛛の巣のように画面上に張り巡らされた白い線は、宇宙空間への瞑想を誘う光の束として存在している。しかも、トビーの意識にとって、それは「描く」のではなく「書く」対象であったのだ。
鈴木ヒラクは、この「宇宙に書く」とも言うべきマーク・トビーの抽象画におけるコンセプトから大きな触発を受けている。そして、自身のドローイングを「宇宙を搔く」行為として発展的にとらえ直そうとしているように思われる。
「搔く」とは、傷をつけることだ。トビーが実習した書芸術の根底に横たわっているのも、実は、人間世界の外部に広がる「宇宙」に「線」という名のかすり傷を負わせ、その傷口から無数の存在者を湧出させるという思想なのではないかとの見方ができる。その場合、書家は、有限な紙の余白に墨の線を「書き加える」のではなく、無限の宇宙に切れ目を入れ、そこから文字という事象を「引き出す」作業をおこなっている―そうとらえた方が、筆墨表現の伝統と密接に結びついた、東洋的形而上学の観点やセンスを救出することにつながるだろう。
鈴木の年来のコンセプトに照らして言えば、絵具を塗るペインティングの本質が「加算」にあるのに対し、書やドローイングは「減算的な表現」である。(4)それはつまり、表現者がゼロから造形物を創造するという倨傲を捨て、常に・すでに眼前にある「宇宙」へ畏敬の念を持って接触し、その内部に潜在するものをうやうやしく引き出していると思いなすことなのだ。こうした境地をめがけて、彼は一心に線を引く。
充溢した空間から、未知の「線」を発掘するということ―鈴木ヒラクのドローイングは、無限の宇宙に出現する全ての存在者への讃歌として、現代という地層に出土し続けている。
注
(1)『言語と空間vol.1 鈴木ヒラク かなたの記号』青森公立大学国際芸術センター青森[ACAC]、2015年、3頁
(2)同上
(3)マーク・トビーは、19世紀のイランにおいて発祥した新しい一神教である「バハーイー教」を信仰していた。
(4)書家・石川九楊との対談「文字の起源」『ヒツクリコ ガツクリコ ことばの生まれる場所』(左右社、2017年)13–14頁における鈴木ヒラクの発言を参照。また、「加算」と「減算」という二分法の発想の源泉として、鈴木は文化人類学者のティム・インゴルド(1948–)の言説を念頭に置いていると思われる。
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