鈴木ヒラクの美術活動における現在に至るまで、作品に使用している素材とそれらへの視点、作品集などについて。
– 創作するという行為を一番最初に意識したのはいつ頃、そしてそれはどのように発展していったか、お聞かせ下さい。
3,4歳の頃から絵を描くのがただただ好きでした。それは何も特別なことではなく、ただ線を引くこと、それによって紙の上に何かの現象が起こることがとても不思議だったし、それは今でもそう思います。ただ、10代半ばに音楽を作り始めてからの5年ほどは、音楽活動にすべてを費やしていました。90年代後半は自宅録音でダブとかアブストラクトと呼ばれるような音楽を作って、東京のクラブで毎月ライブをしていました。
大学では映像を専攻していたのですが、あまり映像は作らず、音楽ばかりやっていました。そんな1999年の春(20歳)に、神奈川県の河原を散歩していたとき、宇宙船のような形をした、長さ3.5mほどの腐りかかった巨大な流木に出くわしました。この流木に何か惹かれるところがあり、映像と写真で観察を始めました。そして、それを2tトラックで河原から運んで来て、大学の地下室にインスタレーションしました。移動の過程で木が割れて、石とか、虫とか、いろいろ出てきました。破片がだんだん土に変化していって、そこに小さな芽が生えてきたりもしました。それからまた小さな破片までひとつ残さずに集めて、流木をトラックに積み込み、元の川の同じ場所に戻すところまでを記録したのです。結局半年がかりのドキュメンタリープロジェクトになったのですが、これがじぶんにとって原点となる作品かもしれません。
それから、音楽活動も2000年(21歳)頃にはだんだん宅録よりも、外で音を録音する方向(フィールドレコーディング)に向かっていきました。雨の日に新宿の雑踏でコンタクトマイクを使って音を集めたりしたりしていました。同じ頃、身の回りで掘った土や、街路樹から集めてきた枯葉を使った作品を作り始めました。『bacteria sign』というタイトルで、土の中に枯葉を並べて埋めて、その葉脈を発掘するという、架空の化石のような平面作品です。また同時に、音楽ライブの代わりに、クラブでも土を使ったライブペインティングを始めました。どちらも変化しながら現在まで継続しているシリーズです。
こんな感じで、音楽活動と美術活動がフェードアウト/インしていって、気づいたら10年以上美術活動をやっています。そして最近は白い紙にドローイングをすることがだんだん中心になってきています。それと同時に、そろそろまた、時間軸上にドローイングをするように音楽を作りたいな、とも思い始めています。ちなみについ先週、ポルトガルのネットレーベル「test tube」から、友人と2人で作った音楽がリリースされました。昨年ブラジルのミナス州で鉄を叩いて音を出し、録音した音源で、『Beam Drop』というタイトルです。フリーダウンロードできるので、ぜひ聴いてみてください。
http://www.monocromatica.com/netlabel/releases/tube222.htm
– 紙とペンのドローイングだけでなく、土や泥、もしくは石などが素材となっている作品も多数ありますが、これらはどのような経緯で作品の素材として決定なさるのでしょうか。またそれらに対するヒラクさんの視線や、どのように捉えているのかも是非お聞きかせください。
僕がやっているのは特別なことじゃないと思っています。身の回りにある物質とか技術を使って、やっています。画材屋がなくても、たとえ石器時代の前に生まれていたとしても、どこかの星に残された最後の一人になって文明の記憶を失おうと、その辺にある枝か石か指なんかを使って同じやり方をすると思います。
それと、土やアスファルトなど、外で素材を集めるというのは、先述の流木の移動プロジェクトがひとつのきっかけになっていると思います。都市のアースワークという言い方もできるかもしれません。土自体は、都市のいろんなところにあって、道路の中央分離帯や、ビル群の植え込みにもあります。でもそれは昔からあったわけではなく、どこかの山からトラックに乗せられて運ばれて来ている、住所不定の自然であって、そこに惹かれるのだと思います。
また、都市自体も、物質レベルではひとつの自然として捉えることもできると思います。ビルの外壁素材も鉱物や砂なわけで、ビルの谷間を、砂丘を想像しながら歩くとか。道路のアスファルトも古代生物の化石、石油からつくられているので、アンモナイトの上を歩いているという想像だってできます。マンホールは地下水脈だし、グラフィティは岩絵のように捉えることもできます。こうしてみると、都市全体がなにか他の惑星で、落ちている木の枝、路肩のリフレクター、看板なんかが未だ解読されていない象形文字に見えたり、地下道の空調が出す断続的な音が何かのシグナルのように聞こえたりします。これは神秘主義的なことではなく、少し目線を変えて、いまという時間やここという場所の中にある、いつかという時間やどこかという場所に繋がっている亀裂をよく見るということです。
– 東京を拠点にされていますが、創作活動の場として他の街や国、もしくは全く違う環境で興味のある所はありますか?もしそうであればそれはどういった場所なのでしょうか。
これまで作品が色々な街や国に連れていってくれたし、色々な人に出会わせてくれました。だから、自分から行くというより、作品が先にあって、それに導かれるまま移動を続けているという感じです。ただその中でもブラジルはいつまでも僕の深いところにあり続ける国です。昨年1ヶ月居ただけでしたが、いつか長期で住みたいですね。
– 2010年のはじめにリリースされた1000枚のドローイングからなる作品集『GENGA』というタイトルは言語(GENGO)と銀河(GINGA)が一つに合わさった言葉ですね。これはヒラクさんの作品世界がとても簡潔に表れているタイトルだと解釈していますが、このタイトルに至った背景はどのようなものだったのでしょうか。
2004年から、A4のコピー用紙を半分に折って、中心に折り目をつけてからマーカーでドローイングをした記号のような絵を描きためていました。最初はタイトルもなかったし、シリーズとか何も考えていなかったのですが、世界中どこに行っても現地でコピー用紙とマーカーを手に入れて、他の色々な作品と並行しながら描いていました。それが600枚を超えたくらいの時に、紙の束がすごい厚さになっていることに気づいて。そして、 ふとこれは文庫本にしたいと思ったんです。今まで見たことがない辞書のような本になるんじゃないか、と。それで、「言語と銀河のあいだ」という意味で『GENGA』(原画)と名付けました。言葉遊びというか、ラップのようなタイトルなんですが。言語も銀河も変容するアーカイブであって、その中で架空の言葉を書いてみるとか、架空の星座を夜空に見つけるとか、そういう行為に近いことをやっていると思ったからです。
『GENGA』に関しては、このタイトル自体にインスピレーションをうけて、1000枚まで進んでいったという面もあります。これに限らず、タイトルが自分を導いてくれることもあるので、そこですべてを言い尽くさないように、少し遠くに投げるようにタイトルをつけることが多いです。
– 海外でも作品を発表されていますが、日本国内で得る反応の違いはありますか?
もちろん国や都市によって傾向はありますが、国によっての違いというよりは、見る側の個人的な記憶に結びついて反応が変わってくることが多いようです。
– 存命しているアーティストでヒラクさんが共感を抱いている、または尊敬している人は?
Jonas Mekas、Christophe Buchel、KAMI、Matt Mullican、Anish Kapoor、木村友紀、Miranda July、Tony Conradなど。
-最後に、 2010年12月に東京で個展、そして新しい作品集のリリースを予定されていますが、今後トライしてみたいこと等も含めお話をお聞かせ下さい。
個展は全て新作で、マーカーを使った点描画のシリーズと、グラファイトとスプレーを使ったドローイングの2つを主に展示します。このスプレーを使ったドローイングが『鉱物探し』(Looking For Minerals)という本になります。これが『GENGA』に続く二冊目の作品集です。
和綴じ製本で、資料集のような趣の、なかなか変な本になりそうです。
今後もドローイングをさらに追求していきますが、本を作るのはやはり面白いので、壁画の写真を集めた大きな作品集とか、絵本なんかも作ってみたいですね。
2010年12月15日
CAT’S FOREHEAD | Journal|鈴木ヒラク インタビュー
< return to text list