遠くの面白い場所を探して行くことよりも、すぐ目の前の場所を面白がれる瞬間が制作の引き金になることが多い。例えばアスファルトの上に落ちている曲がった枝2本の配置が、新しい象形文字とか何かのシグナルのように見えてしまう一瞬。それは、いまここという現実の中に、別の時間と場所に通じる鍵穴が現れるような、初めてなのにどこか懐かしい、静かな出会いの感覚をもたらす。
変形し続けるパズルのピースがピタリとはまるように、体内の記憶と外の世界の記憶とが未開発エリアで符号するその瞬間を、描くこと、また描かれた痕跡を見ることによって捉えたい。
だから私は描くという行為の中に、個人的な想像上の事象を「表す」方法だけではなくて、いまここに秘められた何かが想像を超えて「現れる」という発掘に近いやり方があることを希望だと思っているし、できる限り目の前にある物質や場所と関わりながらそれをやっているのだ。 そして作品自体がまた、私を含めた見る人の目にとっての鍵穴となり、そこから新しい外を覗くことができればいいと思っている。
2008年1月
個展「NEW CAVE」カタログに寄稿
僕がドローイングを始めたのは3歳の頃でした。父が建築の仕事をしていたので、家にはいつも図面の青焼きがあって、その裏にモアイのような絵を描いていたことを覚えています。また、子供の頃は発掘少年で、土器のかけら、鉱物や化石なんかを近所で発掘して遊んでいました。そして10歳の頃にロゼッタストーンの写真を見て、石に刻まれた謎めいた文字の形に完全に惹かれてしまい、それが解読された経緯を知るにつれ、将来は考古学者になりたいと思うようになりました。
いま僕はアーティストとして、紙やパネルの上にドローイングをしたり、壁画・インスタレーション・フロッタージュ・ライブドローイング・映像など、様々な自分自身の作品を作るという仕事をしているし、それらの作品はすべて、人間が何かを「描く」という営為の、今日の世界における、新しい可能性の追求だと認識しています。しかし、いつも僕が描く行為の中で実践しているのは、何か個人的な事象や風景やアイディアを「表す」ことよりも、やはりいまここに秘められた何かを「発見する」という発掘に近いことなのです。
もともと19世紀に入るまで、考古学はアーティストの仕事でした。そして未だに、僕たちの過去という時空間の中には解読されていない広大な領域が広がっています。僕は、人類史においてドローイングが始まった、その瞬間のことについて思いを巡らせてしまいます。それは文字の始まりとも共時性を持っていたはずです。もちろんそれらの始原については様々な仮説がありますが、僕がいま最も関心があるのは、約3万5千年前の後期旧石器人が、そこらに転がっている何の変哲もない石に刻んだ 29本の線について、繰り返す月の満ち欠けを記録したものだとする説です。ここに僕たちは4つの要素:光・変容・石・そして刻むという行為、を見出すことができます。この29本の線が最も原始的な文字、あるいはドローイングであるとするなら、それらは過去の時間の記録であると同時に、未来の時間の変容を指し示すシグナルだと言えるでしょう。
ご存じのように、僕の国、日本はいま、かつてない危機に直面しています。そしてこれはもはや日本に限られた局地的な関心事ではなく、また現在生きている人間だけの問題でもありません。いま、アートと呼ばれるものと、人間の存在自体との本来の強い結びつきを、現実的な意味で考え直さなければいけない時が来ているのだと思います。それをするために僕たちは、まず、「いま」が過去や未来から切り離されたひとつの点ではない、ということを知る必要があります。僕は、人間は描くという行為によって、また描かれた痕跡を見るという行為によって、「いま」という瞬間をそれぞれの時間軸の中で捉えることができる、と信じています。なぜなら、ドローイングは、その始原からずっと、人間が直接的に向き合っている現状と、長い長い宇宙的な時間との交差点であり続けているからです。
ウィンブルドンでの僕の個展「光の象形文字」では、ロンドン滞在中に制作した約40点のドローイングと、いくつかの彫刻作品を出品する予定です。すべての作品は、描くという行為の中で、いま僕が滞在しているチェルシー周辺の環境と、考古学や言語学への関心が交差しています。最近は、道路に落ちている木漏れ日の形の変容、その残像にとても想像力を喚起されています。僕はこれらの作品達が、日常の中にありふれた「しるし」や「現象」の、とても些細な記憶を未来へとつなぐ、創造的な媒介物になることを願っています。
2011年7月
ロンドン芸術大学出版「Bright6」に寄稿(発行:University of the Arts London)
ドローイングは、絵とことばの間にある。
かつて、“描く”と”書く”は未分化であった。古代人は、いわゆる言語を使い始めるずっと前に、そこら辺に転がっている石や、洞窟の壁や、マンモスの牙に、天体のリズムを刻んだ。人間はそうして記号を発明し、文字や言語を生み出すことによって、常に未知なるものとして目の前に立ち現れてくる世界の中に自らを位置づけ、世界を研究し、世界と関わり合いながら生き延びてきた。
いまここを生きる私たちは、既存の言語の概念だけで、この世界の新しい時間と空間の広がりの中で起こっていることを充分に理解し、未来を指し示すことはできるだろうか。
僕の方法論は、この現在進行形の世界に対応した、もうひとつ別の考古学としてドローイングをとらえてみることだ。まず既に遍在している亀裂から世界に入り込み、世界を点と線に解体することからはじまる。
例えば路上にゆらぐ木漏れ日の形や、アスファルトの白線の欠片や、葉脈のカーブ、読めない数式、グラフィティ、肌に浮いた血管、ビルの輪郭、中国の棚田の地形、地下道での靴音の響き方、獣道、レコードの溝、熱帯植物の枝振り、車のヘッドライトの残像、SF映画のシーンに一瞬映る看板に描かれた架空の会社のロゴマーク、飛んでいる蚊が空間に描く軌跡。
そこにある点と線をよく見る。反対側からも見る。そしてなぞる。身体を使う。再配置する。何か現象を起こす。繰り返す。
こうして、解体された世界の欠片をつないで、新たな線を生む。この線は、”いまここ”と”いつかどこか”を接続する回路となる。その回路を行ったり来たりするのは、絵でもことばでもない、ただの記号である。このただの記号を、変化し続ける現在において発掘すること。
僕の仕事は、離ればなれになってしまった”描く”と”書く”のあいだの闇、そのかなたに明滅する光の記号を見いだし、獲得し続けることである。
2015年3月
国際芸術センター青森(ACAC)での個展”かなたの記号”に寄せて
Drawing Tube(ドローイングチューブ)とは、ドローイングの新たな研究・対話・実践のための実験室であり、それらを記録して共有するために構想したプラットフォームです。
ここで言うドローイングとは、平面上に描かれた線のみではなく、宇宙におけるあらゆる線的な事象を対象とし、空間や時間に新しい線を生成していく、あるいは潜在している線を発見していく過程そのものを指します。
例えば、ダンスは空間への、音楽は時間への、写真は光の、テキストは言語のドローイングとして捉えることもできます。さらに地図上の道路や、夜空における星座、人間の腸なども含めてみると、私たちは世界の様々な領域に「ドローイング」を見出せるでしょう。
Drawing Tubeは、この「ドローイング」というキーワードを介して、様々な分野を巻き込んだイベント、レクチャー、展示などを不定期で行い、各分野間に管 (チューブ)を開通させることを志向します。またそのアーカイヴを開示することで、「描くこととはなにか?」という根源的な問いに対する議論を喚起し、変容し続ける現在進行形のドローイングの可能性について考えていきます。
紙を丸めて運ぶための筒のことも、ドローイングチューブと呼びます。Drawing Tubeの活動は、特定の場所と結びつくのでなく、何かと何かをつなぐ管(チューブ)としてその都度かたち作られ、移動していくものです。管状の線が空中に浮かんでいるような、1匹のミミズが澄んだ池の水面を泳いでいるようなイメージです。
まずはこうした穴がボコボコ空いた状態で始めて、色々な意見を取り入れながら、少しずつ展開していく予定です。よろしくお願いします。
2016年8月3日
(DrawingTube.org)
いつからか、シルバーで描き始めた。時々、自分が一本のマーカーになったような気がした。それでとにかく描いていたら、ここまで来た。これから場所や時代が変わっても、自分は描いて生きていくのだろう。
大切なのは、常に新しい起点を見つけ、それに駆動されようとすること。決して、同じ形を繰り返さないことだ。かと言って、真新しいアイデアを思いつこうと努力するのも違う。自分がやるべきことはいつも、ここまで進んできた道の2m先の地面に、ゴミや犬の糞などに混ざって、ちょうどいいサイズの小石のように落ちている。前や上ばかり向いていたら、それらのヒントを見過ごす。
尊敬する友達と馬鹿話をしたり、真剣に議論して、悩みや喜びを分け合って抱きしめて別れた、ヒンヤリとした夜の帰り道に、そういうものを見つけたりする。しばらく聞いていなかった音楽の中や、長らく閉じていた本をふと開いた時に、何かを新しく見つけることもある。
そこからまた描き始める。対象の表面を触り、匂いを嗅ぐ。耳を澄ませる。変化し続ける目の前の風景の、ただ一点に集中する。光る刃物のような、たっぷりと鉱物の粉を含んだシルバーマーカーの芯の先端を突き刺す。そこは全てが反転する矛盾の場所でもある。まるでそこ以外に生はないかのようなその一点、その瞬間から、どこまで遠くへ掘り進められるか。
それは同時に、今ここから離れた遠くの場所で起こっていることや、今ではない過去の時間に起こったこと/これから先に起こり得ることにヴィヴィッドであろうとすることを意味する。日々のニュースが精神の底に鋭く重く沈殿する。しかしその痛みも掘り進むための原動力になっている。新しい方法で世界を把握するための別の言語を作るには、淡々と進めていくしかない。
マーカーの先から生まれた点が動き、線になった。上空から見た川のようだ。水面が光を乱反射している。近くに人影が見える。川辺で文字が発明され、新しい文明が始まった。一瞬、自分の子供の頃の記憶がチラつく。言葉を覚える前の記憶。さらに線は地層の奥へと進み、人間以外の世界、鉱物、惑星の記憶、そして未だ来ていない記憶を辿る。
全ての点と線の軌跡の集積が、光を反射して、網膜に残像を焼き付けていく。
シルバーのインクは、架空の銀塩写真の現像液なのかもしれない。それは過去ではなく、常に今を現像し続ける。
2019年11月
作品集”SILVER MARKER Drawing as Excavating”に寄稿
20年前に、拾った枯葉の葉脈で最初の記号を描いた時から現在に至るまで、自分にとって作ることは、世界を新しく把握し直すための発掘行為であり続けている。もっと遡れば、採取した環境音を素材としてダブと呼ばれるような音楽を作っていた頃から、それは始まっていたのだろう。しかしある時点で、既にある世界の断片を発見したり再配置するだけではダメで、もうひとつ別の言語を作る必要があると気づいた。それで世界の欠片自体のねつ造を試みるようになった。それはキスよりも先にキスマークを存在させるような行為であり、いつも意味よりも痕跡が、物質より反射が、ポジよりネガが先に来る。音の痕跡だけで作られたアーサー・ラッセルの音楽作品「ワールド・オブ・エコー」のように、ダブという手法は、かつてあったはずの/これからあるはずの世界を暗示するのだ。
それで自分は、シルバーなど、光の現象によって物質性や意味を一旦消し、ものごとを反転させるようなメディウムを使い始めた。例えるなら、それまでは路上で拾った針穴から外の光を覗いていたのが、今度はその針穴に外から光の糸を通すようなベクトルが生まれたわけだ。そして最近は、描く行為の集積が、だんだんと「織る」行為に近づいてきた。瞬間的な即興の身振りによって次々に生まれる記号の断片が撚り合わされ、ある秩序が、織物のように浮かび上がってくる。つまり、別の言語を使って長いテキストを書くような試みが始まったと感じている。
2019年11月
東京都現代美術館での”MOTアニュアル2019 Echo after Echo:仮の声、新しい影”展に寄せて