シルバーマーカー

18.02.28

 いつからか、シルバーで描き始めた。時々、自分が一本のマーカーになったような気がした。それでとにかく描いていたら、ここまで来た。これから場所や時代が変わっても、自分は描いて生きていくのだろう。

 大切なのは、常に新しい起点を見つけ、それに駆動されようとすること。決して、同じ形を繰り返さないことだ。かと言って、真新しいアイデアを思いつこうと努力するのも違う。自分がやるべきことはいつも、ここまで進んできた道の2m先の地面に、ゴミや犬の糞などに混ざって、ちょうどいいサイズの小石のように落ちている。前や上ばかり向いていたら、それらのヒントを見過ごす。

 尊敬する友達と馬鹿話をしたり、真剣に議論して、悩みや喜びを分け合って抱きしめて別れた、ヒンヤリとした夜の帰り道に、そういうものを見つけたりする。しばらく聞いていなかった音楽の中や、長らく閉じていた本をふと開いた時に、何かを新しく見つけることもある。

 そこからまた描き始める。対象の表面を触り、匂いを嗅ぐ。耳を澄ませる。変化し続ける目の前の風景の、ただ一点に集中する。光る刃物のような、たっぷりと鉱物の粉を含んだシルバーマーカーの芯の先端を突き刺す。そこは全てが反転する矛盾の場所でもある。まるでそこ以外に生はないかのようなその一点、その瞬間から、どこまで遠くへ掘り進められるか。

 それは同時に、今ここから離れた遠くの場所で起こっていることや、今ではない過去の時間に起こったこと/これから先に起こり得ることにヴィヴィッドであろうとすることを意味する。日々のニュースが精神の底に鋭く重く沈殿する。しかしその痛みも掘り進むための原動力になっている。新しい方法で世界を把握するための別の言語を作るには、淡々と進めていくしかない。

 マーカーの先から生まれた点が動き、線になった。上空から見た川のようだ。水面が光を乱反射している。近くに人影が見える。川辺で文字が発明され、新しい文明が始まった。一瞬、自分の子供の頃の記憶がチラつく。言葉を覚える前の記憶。さらに線は地層の奥へと進み、人間以外の世界、鉱物、惑星の記憶、そして未だ来ていない記憶を辿る。

 全ての点と線の軌跡の集積が、光を反射して、網膜に残像を焼き付けていく。

 シルバーのインクは、架空の銀塩写真の現像液なのかもしれない。それは過去ではなく、常に今を現像し続ける。

2019年11月
作品集”SILVER MARKER Drawing as Excavating”に寄稿

Silver Marker

18.02.27

I started drawing with silver at some point. Sometimes I’ve even felt like I became just another silver marker. But that’s all just part of drawing, and it brought me where I am at this point. One thing I’m sure of is that, no matter what changes of place and time, I’ll continue to live through drawing. 

The important thing is to always discover the new point, and try to be activated by it. Never fall back on previous forms. This is the opposite of striving for new ideas. There is a path that led me here, and the signs are always just ahead of me on the road, like perfect-sized pebbles, mixed in with all of the trash and dog shit that’s there too. If I always try to look straight ahead or upward, I’ll miss them. 

I find these signs on chilly nights, after an evening of laughing and discussing, or sharing joy and struggle with friends I respect, after our hugs and farewells, on the walk back home. I find the signs in music I haven’t heard for a while, or when I open the pages of the book that has been closed for too long. 

And when I find the signs I need to restart drawing. I touch things. I smell them. I strain my ears to hear them. I find an exact point, amidst all of the cacophony of constant change around me. And I pierce the space, using the tip of the silver marker, filled with mineral powder: as the shining blade. This is the paradoxical place where everything becomes its inverse. How far can I excavate from that point, that singular moment, which eclipses life and everything else? 

How vivid can I remain? Vivid about what’s happening now, right here and far away, vivid about what has happened in the past or what will someday come to be. It requires pushing the news of the day to the recesses of my spirit, yet still harvesting the pain to drive me forward. The only way to generate an alternative language, a method for newly corresponding with the world, is to just keep at it.

The point born where the tip of the marker touches the surface becomes a line with movement. It looks like a river seen from the sky above. Ripples in the water’s surface reflect the light. Nearby I can see some human-like forms. Languages are invented at the riversides, and with them new civilizations begin. For a brief moment it invokes childhood memories. Memories from before I myself learnt language. The line seeks deeper, and layers form, following the memories of an unpopulated world, of minerals, of planets, of things which have yet to happen.

The accumulated trajectories of all dots and lines reflect light, imprinting resonances into our eyes. 

Maybe silver ink is a catalyst for an imaginary silver halide photography. It develops in the now, ever into the present, never remaining in the past. 

 

November 2019
contribution to the monograph “SILVER MARKER Drawing as Excavating”

テキスト(Artist Statement)

18.02.27

 20年前に、拾った枯葉の葉脈で最初の記号を描いた時から現在に至るまで、自分にとって作ることは、世界を新しく把握し直すための発掘行為であり続けている。もっと遡れば、採取した環境音を素材としてダブと呼ばれるような音楽を作っていた頃から、それは始まっていたのだろう。しかしある時点で、既にある世界の断片を発見したり再配置するだけではダメで、もうひとつ別の言語を作る必要があると気づいた。それで世界の欠片自体のねつ造を試みるようになった。それはキスよりも先にキスマークを存在させるような行為であり、いつも意味よりも痕跡が、物質より反射が、ポジよりネガが先に来る。音の痕跡だけで作られたアーサー・ラッセルの音楽作品「ワールド・オブ・エコー」のように、ダブという手法は、かつてあったはずの/これからあるはずの世界を暗示するのだ。

 それで自分は、シルバーなど、光の現象によって物質性や意味を一旦消し、ものごとを反転させるようなメディウムを使い始めた。例えるなら、それまでは路上で拾った針穴から外の光を覗いていたのが、今度はその針穴に外から光の糸を通すようなベクトルが生まれたわけだ。そして最近は、描く行為の集積が、だんだんと「織る」行為に近づいてきた。瞬間的な即興の身振りによって次々に生まれる記号の断片が撚り合わされ、ある秩序が、織物のように浮かび上がってくる。つまり、別の言語を使って長いテキストを書くような試みが始まったと感じている。

2019年11月
東京都現代美術館での”MOTアニュアル2019 Echo after Echo:仮の声、新しい影”展に寄せて

鈴木ヒラク 時間と空間を貫くドローイング

18.02.26

島田雅彦が「郊外三部作」と呼ぶ小説の第一作目『忘れられた帝国』1では、東京の郊外に暮らす主人公の生活が説話の形で語られている。小学生である主人公は、自宅近くの森を探索するうち、宅地造成の工事現場から縄文式土器を発見し、しばし発掘熱に浮かされる。それはのっぺりとした日常に非日常が顔をのぞかせた瞬間だった。

高度経済成長期、都市の郊外では急速な宅地開発がなされ、それにともなって埋蔵文化財や遺跡が多く見つかった。日本の古層が、大都市の周縁部でむき出しの状態になっていたわけで、それは先史時代に直結したトンネルの入口が、大都市の真横にぼっかりと口を開けていたということになる。

鈴木ヒラクは2歳の頃、仙台市から川崎市麻生区に引っ越した。彼も小さい頃、家の周りを掘って遊んだ発掘少年であり、土器や様々なものを掘り出すことに熱中したという。そのとき、日常の生活では隠れて見えなかった現在と過去とを結ぶ長大な時間的・空間的な意識の飛躍を、鈴木も感じたことだろう。こことかなたを繋ぐ糸口を見つけ、それを掴み出すこと。それが鈴木の制作の原点である。

鈴木がこれまで展開してきたのは「拡張された意味でのドローイング」というべき活動である。通常ドロ一イングとは紙の上に線で描かれ、絵画へと至る過程にあってその準備段階を構成する。絵画と異なり「『全体のルール』に従うわけではないし」「完成した全体との関係においてのみ意味をもつのでもない」2 このように、ドローイングは確定的ではないがゆえに、あらゆる方向に開かれており、自由な表現形態として独自のフィールドを持っているといえる。

だが鈴木のいうドローイングとは、さらに広い範囲を含むものであり、平面上に描かれた線のみでなく、ある場所からある場所をつなぐ行為の軌跡、あるいは何かと何かの間を行き交うシグナルなども含めて、「空間や時間に新しい線を生成していく、あるいは潜在している線を発見していく過程そのものを指す」ものだとしている。実際鈴木はこれまでも、立体、映像、パフォーマンスなど、ジャンルを横断した旺盛な活動を行ってきた。強調すべきなのは、身体や意識の動いた軌跡も積極的にドローイングヘと組み入れようとしている点であり、公共空間でのドローイング・パフォーマンス(fig.1)や、手の動きをリアルタイムに映写しながらのドローイングなども、彼の重要な表現手段だった。そこにはダンス、さらにはストリートカルチャー(グラフィティ)との類縁関係までも指摘できるだろう。

鈴木は作品制作を「考古学」になぞらえ、作品を「解読を待つ一種の記憶装置」と捉えている。たとえば、今回の展覧会には出品されないが、《bacteria sign》シリーズ(fig.2) は、作者が初期から今日まで、断続的に継続して制作している作品であるが、その制作方法とは、土に一旦枯葉を埋めたのちに葉脈部分を掻き出すことによつて、プリミティブな形象(葉脈によるドローイング)を顕わにするというものである。この手法はまさに「発掘」そのものであって、ここでは作者という存在が、長年の土砂の堆積により地中深く隠れている遺物を探して掘り出す、考古学者の役割を与えられている。と同時に、土を「手で掻き出す」という制作行為に焦点が合っていることも明らかである。このような実際の身体の運動、それにともなう意識の流れが、時間と空間の中に描いた軌跡を、注意深く丹念に収集すること。そして時には大胆に他のメディアヘと組み換えることが、鈴木のドローイングを形作る。

今回の展示では、墨の上にシルバーで描いた《Constellation》シリーズ、反射板によ作品《Road》、ステンレスチューブの立体、そして新作の映像作品によって構成される。

星座(=Constellation)は、地球から見える無数の星の中の幾つかを、架空の線によって結びつけ、そこに形象や意味を見出すことだが、それも作者にとってはドローイングのーつである。何万光年も離れた場所から今地球届いている星の光自体、遠いかなたの星と私たちとの応答(コレスポンダンス)ととらえることができ、それもまた作者においてはドロ一イングの一部を構成している。墨の上にシルバーペイントで描かれた無数の記号は、宇宙の闇と光を放つ星たちとの対比を思わせる。明と暗、ネガとポジなどの「対比」も、意識の応答を引き起こすものとして、ドローイングに類するものと鈴木は捉えている。《Constellation》シリーズでは、方向性の定まった直線的な記号表現と、フリーハンドによるスプレー表現との二つの対比が、画面全体の動勢を決定している。横長の《Constellation #19》は、遠くから全体を見ると中央が厚みをもつ形をしており、銀河を真横から見た形を連想させるが、作品に近づくと、ロゼッタストーンを思わせる記号の集積が延々と広がっているような印象を強く受ける。その結果、鑑賞者は自身の中で、ミクロ的視点とマクロ的視点との頻繁な転換を体感することになるだろう。そこにもまた、瞬間的なドローイングがなされるのである。

Road》の3点は、夜の高速道路などで道巾を示したり、街なかの交通標識などに用いられ注意を喚起したりする反射板が使われている。見る者が光を発すると鋭い光を送り返してくるこの反射板もまた、人工的に光のシグナルを作り出し、断続的な光の応答を発生させる。

Recollection of the Contours》は本展で初めて公開される新作のビデオ作品である。作者は昨年の夏、北海道内に点在する環状列石を多数リサーチし、写真とドローイングでメモを残した。本作はその時の考察が反映されており、手描きによるドローイングよりも、小石を配置してなされる構成が主体となつている点が注目される。

これまでもライブパフォーマンスの際に、紙の上に小石をばらまき、ドローイングのきっかけとすることがあったが、今回のビデオの小石の使用はより積極的である。手元でのドローイングを壁面にビデオ投影しながら行うこれまでの一部のパフオーマンスと類似する部分もあるが、単純に筆を小石に置き換えたというわけではない。

自然物であることを示す不規則な形がまず印象に残る。そしてその動き方からそれが実物の小石と分り、それを人が並べる作業を示すことによつて、自然と人工、オブジェクトと記号、偶然と計画性といった問題を浮き彫りにする。その際、コントラストを最大にしてネガ・ポジを逆転させ、白と黒の単純なシルエットヘと変換することによって、全体が整理され、簡潔で抑制の効いた、強い印象をもたらす表現へと至っている。

一つの石を置いてから、次の石を置くまでの行為は、それが環状列石のように大地の上であれ、この作品のように紙の上であれ、無限のバリエーションの中から行われた「選択」の一つであることに変わりはない。二つの石の間をつなぐ線には意識の流れが折り重なり、内に時間と空間を含んだドローイングが生まれる。この作品ではそれが適度なテンポで連鎖していくのである。

小石によるドロイングは、組み替えや修正が自在であり、それを瞬時に行うこともできる点で、簡潔、明快で、また鈴木の持つスピード感に適した表現となった。手の行為の軌跡と物の作る配置をめぐる展開として、鈴木のドローイングのもう一つの面を見せてくれている。

(文中敬称略)

1: 島田雅彦『忘れられた帝国』1995年、毎日新聞社

2: ティム・インゴルド『メイキング』2017年、左右社

3:『Drawing Tube vol.1 Archive』2017年、Drawing Tube

 

2019年2月23日
アートみやぎ2019カタログに掲載

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Each Modern (video with subtitles)

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鈴木ヒラク インタビュー/作家解説

https://www.youtube.com/watch?v=hT18b80QajA

WHAT MUSEUM ARTIST INTERVIEW (video with subtitles)

18.02.08

鈴木ヒラクインタビュー

https://www.youtube.com/watch?v=cEBNcnUPmsM

TOKION – Exploring “Drawing Orchestra”

18.02.08

a dialogue between Hiraku Suzuki and Daijiro Ohara & remarks from participants

https://tokion.jp/en/2021/04/28/drawing-orchestra/

WHAT MUSEUM ARTIST INTERVIEW (video with subtitles)

18.02.07

Hiraku Suzuki Interview

https://www.youtube.com/watch?v=cEBNcnUPmsM