The conundrum of curiosity

14.01.08

Hiraku Suzuki has a long-held fascination with archaeology, an interest sparked and fostered, as in so many cases, through childhood encounters with material traces of an ancient past near to where he lived. How many people say to me: ‘when I was young I dreamed of being an archaeologist’ … the implication being that they eventually followed a more rational route to making a living than offered by a job often characterised by the three K’s: (in Japanese) kitsui, kiken, kitanai.  For those who do continue to become adult archaeologists, however, these often ephemeral traces – pottery sherds, flakes of stone, fragments of bone – provide the evidence for no less a question than how we became human, and offer the chance of a lifetime pursuing some of the most fascinating conundrums we face. Human beings are the only creatures that strive to express who they are through material culture. The ideas embedded in this expression can also inspire great art, and it is this intersection between art and archaeology that Suzuki explores so tantalisingly in his work.

Faced with the humdrum remains of everyday life and death from antiquity, archaeologists have to call on all our powers of creativity, discipline, intellect, and persistence to create meaningful and coherence narratives about the past based on the evidence we have uncovered. We order and categorise our discoveries according to how they were made, using what materials and interpret them in terms of what they can tell us of the people who left them behind, and why. There is doubtless a beauty to this ordering, and if art can be thought of as intentional acts of creativity in pursuit of beauty, appealing to, and sometimes confronting, the senses, then perhaps we can speak of the art of archaeology. Suzuki’s work makes us look at forms familiar from the museum or excavation report through fresh eyes. What at first seems random squiggles resolve themselves into intriguing motifs, encouraging us to think how early artists explored the potential of line, shape, rhythm, and symmetry long before a vocabulary for such concepts had evolved. Moreover, fed by Suzuki’s own curiosity about the mysterious objects from the past he encountered when he was young, his artworks make us question our own perceptions: how do we know that we are looking at the representation of an arrowhead or dogu figurine? What are the essential elements required for the recognition of a tangled scraper?

The relationship between art and archaeology is complex and nuanced. In the UK many excavations have on-site artists, helping the diggers and the viewing public visualize how the remains that occupy their attention came to be. Some archaeologists exhibit considerable artistic talent themselves, and I am sure that Suzuki could have made an outstanding archaeologist himself,  had he chosen to do so. Academic archaeology conferences regularly feature artistic interventions. Books and museum displays are greatly enhanced through interpretive illustrations – paralleling an emerging field in contemporary literature as practiced at my University, the University of East Anglia: creative non-fiction. What at first seems an oxymoron is in fact a new window on reality, another way of expressing the multiplicity of human experience. Suzuki’s artworks offer a fresh and challenging perspective on our story, drawing us in and encouraging us to be ever more curious about how we came to be.


November 2019

contribution to the catalogue “SILVER MARKER—Drawing as Excavating”

探究心の解けない結び目

14.01.08

 長いあいだ、鈴木ヒラクが抱き続けている考古学への憧憬。きっかけはよくあるように、幼少期の家の近くに存在していた古代の物に刻み込まれた痕跡との出会いからだった。心に火がつき、彼はそれを守り育て続けた。「子供の頃は、考古学者になることを夢見ていたんです」と言う人がなんと多くいることか。つまり、日本語で「キツイ、キケン、キタナイ」の頭文字をとって“3K”と言われることもある厳しい労働環境の仕事より、彼らは結局は合理的に生計を立てる道をとったということだ。しかし、大人になってからも考古学者を目指し続ける人々にとっては、土器片、石の切片、骨の欠片等は、ただの儚く消える痕跡などではない。それどころか、私たちはどのようにして今の“人間”に至ったのだろう?といった問いへ確かな証しを示し、 一生をかけて追い求めるに値する、またとないものを与えてくれる。それらの宝物は最も魅惑的な解けない謎なのである。自分達の存在を、物のかたちある文化を通して表現しようとするのは生き物の中でも唯一、人間だけだ。表現の中に埋め込まれた思考は、素晴らしい芸術を刺激する可能性もまた持っている。まさに、この芸術と考古学の交差する点こそ、心が強く揺さぶられる程までに 、鈴木が彼の作品において切り拓いている場処なのである。

 昔から続く日常の生と死。ありふれた営みを遺した物に向き合い、考古学者は創造性、技能、知性、粘り強さといった自分の持てる総力を結集せずにいられない。そのようにして、私たちは発掘された物質的な証拠に基づいて、はじめからおわりまで意味の通った過去の物語を作り上げる。製作された方法と使われた材料に従って系列立て、カテゴライズし、遺物がそれをもたらした人々について語ることとその理由を解釈する。私は、この秩序を現す、ということの中には必ず、美というものが存在すると思うのだ。人々の感覚を魅了し、時には対峙しながらも、芸術とは美を追い求めるクリエイティビティから生まれる能動的な行為である。ならばその意味において、考古学の芸術、というものについて語ることができるのではないか。私たちは鈴木の作品を通して、博物館や発掘調査報告書において見慣れた形を、新鮮な眼差しでとらえることが可能になる。はじめはランダムなうねる走り書きのように思われていたものが、次第に興味深い問いをかき立てるモチーフへと変わってゆく。それらを見つめていると、昔の芸術家が、線、形、リズム、シンメトリーに潜む可能性をいかに探求していたかを思う。それらは“概念”についての語彙が発展するよりもずっと前から存在していたのだ。さらには、彼の作品を見るものは、過去からやって来た謎の物体に、幼い日に対面した時の彼自身の好奇心の源を汲み上げながら、自分自身の認識に問いを投げかけることになる。例えば、今見ているものが表しているものは鏃なのか、それとも土偶なのか、どうやって分かるのだろう? 何の要素があれば、石匙を他の石器の種類から見分けることができるのだろう? というように。

 芸術と考古学の関係は複雑で微妙なところがある。英国では多くの発掘現場において、アーティスト達との協働により、採掘者と共に夢中になった遺物の来し方を、一般へわかりやすく見せる形にしている。考古学者の中にはここにかなりの芸術的才能を発揮する人もいるが、鈴木自身がもし選択していたならば、傑出した考古学者となっていたことだろうと私は確信している。現在、考古学学会でも定期的に芸術の分野からの介入の例が発表されている。解釈を絵で図示する出版物や博物館での展示にも非常に力を入れているところである。また、私が現在教鞭をとるイースト・アングリア大学では「創作的なノンフィクション」という現代文学の注目のジャンルを授業で実践中である。この一見撞着語法のように思えるものも、実際には、現実にとっての新しい窓となり、人間の経験の多様性を表現する別の方法となりうるのだ。鈴木ヒラクの芸術作品は、考古学が編み上げる物語に鮮烈な、難易度の高い視野を与えてくれる。私たちをその視界の中に引き入れ、人間の通って来た道について、一層深く探求したい気持ちを起こさせるのである。


2019年11月

“SILVER MARKER—Drawing as Excavating”に掲載

鈴木ヒラク:発掘されるドローイング (text in Japanese)

14.01.07

 鈴木ヒラクは自身やこの世界のあらゆるものの始原としての宇宙と日常をつなぎ、たえざる思考と感性から発見、発掘したものを「ドローイング」として発表してきた。音、映像、ライブパフォーマンス、彫刻、インスタレーションなども、彼の実践においては広義のドローイングの方法としてある。

 鎮静的な空気の中、壁面には6点、黒い下地にシルバーで描かれたドローイングがあり、床には奥行きのある空間の奥へと誘うかのように、白色を帯びたアスファルトの断片が蛇行しながら置かれている。その向こうには小空間があり、暗がりの中、多様な記号が次々とプロジェクションされている。

 壁面のドローイングには、漆黒の彼方から放射状にこちらに向かってくるかのようなおびただしい数の記号の群れが描かれ、全体で有機的な形状を浮き上がらせている。キャンバス・ドローイング《Constellation》(2016-)である。鈴木にとって「光」こそが、ドローイングを描く根幹であるという(100年前に、光の芸術家を自称したモホリ=ナジを想起する)。描かれた記号は、世界のどこかにありそうに見えながら存在しないものたちで、記号と絵、意味と無意味の境界領域を漂っている。それらは意味に回収されえず、世界そのものと直接関係しようとする衝動の表出であり、シュルレアリスムの自動筆記と共振するものでもあるだろう。不定形の記号群がうごめくようなドローイングは、それぞれが(星)雲のようにミクロ/マクロの時間、空間スケールで不定形に変容しつづける粒子の状態に見える。

 近くで見ると、土とアクリルが混ざった黒のざらついた質感が暗闇世界(宇宙?)の流れをあらわすかのようである。その上に、鉱物である銀を含むシルバースプレーやマーカーで、点の集合体が描かれている。鈴木は制作プロセスについて、「闇に光を放つように線を描いている」という。コンステレーション(星座)は、距離(そして光年)の違いを超えて、見る側が星々の点を仮想的につなぐ(つないでしまう)ことで何らかの意味を生成させる。それは人間の本能的な知覚認知作用であり、意味は時代や自然・文化的背景に依存する。コンステレーションは、複数の点を直線で結ぶ一種のドローイングといえるが、本作では無数にさえ見える点が相互に絡まり合い、整合的な意味を結ぶことはない。コンステレーションの彼方、もしくは深淵へと私たちを誘うかのように。

 床上にアスファルトが並んだ作品《道路標識 カタツムリの歩行の跡》は、実際に使われていた道路の一部であり、白線の塗料や車や雨風に晒された痕跡が生々しい(そっと触れてみた)。本作では、道路がキャンバス、白線が下地、その上を通行した車や人などが(無意識的な)ドローイング主体、痕跡がドローイングといえる。鈴木は、道路という直線的な事物から直線的な白線(=記号)の断片をカットアップし、カタツムリの歩行が作るような曲線として(鈴木によれば「架空の記号」)見せた。カタツムリの歩みはゆっくりで、曲線を描く。人間や車とは異なる構造と粘液によって、地を進んでいく。それは蛇の歩行や河川の移動(長い時間をかけた)などと同様に、自然の描くドローイングともいえるだろう。

 歴史の中で、人は(動物も)地形に沿って自ずと道を開いてきた。谷や尾根沿いの道、また蛇行する河川が陸よりも地域をつなぐ経路としてあった。それを自然と人間が織りなすドローイングと見なすことができるだろう。しかし近代以降、鉄道や道路によって、直線的に地点をつなぐドローイングが世界中に張りめぐらされていった。

 私たちは「線」という言葉で直線を想起しがちだが、そもそも線には様々なものがあり、直線はその一部でしかない。ティム・インゴルドは、ユークリッド幾何学に遡る直線の概念が、ルネサンス以降、原因、結果、因果関係についての思考を支配するようになったとしている。そして「近代において確実だと思われたさまざまなものが疑われ、混乱の様相を呈するにつれて、かつては目的地に一直線に向かっていた道筋(ライン)は断ち切られ、生きるためにはさまざまな亀裂を縫って進むべき道を見つけなければならなくなった」と述べている(ティム・インゴルド『ラインズ』、左右社、2014/原著2007)。まさに私たちは、現在そのような場所にいる。鈴木は、近代以降の線の支配に対してそれ以前の、宇宙や自然に寄り添った線によるドローイングを発掘し、創造しようとする。
 鈴木はすでに幼少時から、「発掘」と「かくこと」が不可分の行為だと直感していたという。そして20年前に、自然環境からドローイングを「発掘」し、ドローイング作品として再構成する作業を開始、最初の記号は葉の葉脈で描かれ、ドローイングは路上のマンホールの記号をフロッタージュに由来するという(痕跡をドローイングとして発見、フロッタージュをドローイングと見なすこと、そしてそこには身体性や音がともなう)。

 その背景には、音と実験音楽に傾倒した10代の経験がある。実際鈴木の活動は、音から始まっている。採取した環境音を素材としたダブ音楽が、発掘としてのドローイング、存在しないものの痕跡の創造へと展開してきたという。鈴木が大学で音や映像を学んだ2000年前後は、グリッチミュージックが登場し、渋谷はその中心地となっていた。ラップトップ・ライブシーンでは、音と映像の新たな実験が活性化した時代である。そのような状況で、鈴木の中で自然や都市環境、音と映像、記号と絵などが、考古学や人類学とつながり始めたのだろう。00年代後半以降、これらの現象や行為を包摂する概念として、「ドローイング」へと至る。

 アスファルトとの蛇行の彼方の空間でプロジェクションされている記号は、2010年に出版された「GENGA」(鈴木の造語で、言語と銀河の間を意味)で、鈴木が身の回りで発見した1000もの記号の断片が瞬時瞬時に光のドローイングとして現れる。「洞窟」をイメージした空間は、人類が洞窟壁画で描いてきたドローイングや線刻画が意識されている。「GENGA」の洞窟は、ドローイングをめぐって、その始原を日常の中から発掘する試みであり、ひいては、過去、現在そして未来における可能態としてのドローイングへと向かうものであるだろう。

 そもそもドローイングは、洞窟壁画にまで遡ることができる。暗く不定形な洞窟の壁に火を灯して揺らぎの中で描かれたそれらは、自然への畏敬そして生存のための祈りの儀式でもありパフォーマンス的要素をもっている。
 人類史において、ドローイングは絵画に先行するはずである。絵画はドローイングよりも、描く素材や道具が複雑だが、ドローイングは引っ掻くことでも可能になる。それは物理的側面—音、立体性—に加え、身体の動きとしてのパフォーマンス的側面をもつ。それだけではない。人類最古の芸術行為は洞窟壁画ではなくタトゥーでは、という説が欧米のタトゥー愛好者では知られるという(ケロッピー前田『縄文時代にタトゥーはあったのか』、国書刊行会、2020)。その信憑性はともかく、切り傷やすり傷がたえない中、たまたま入った墨などからタトゥーが生まれた可能性もあるだろう。切り傷に入れるタトゥーは、針で刺す手法よりもドローイングに近いように思われる。

 鈴木は書くときの音、書くことと音の密接性を意識し、それらをつなげる実験を行ってきた。音と書くことの連動は、2000年代半ばに書画カメラを用いたライブ・パフォーマンスを編み出すことで、個人を超えて、音楽家以外も含む様々な人々とセッションをするDrawing Orchestraへと結実する(やんツーもメンバーの一人)。書画カメラというアナログ装置を「データベースに直接手を触れる」メディアとして発掘/ハックし、各人が即興的に書くことで音を与える現場ならではのコラボレーションである(B・ガイシンによる1950年代の《ドリームマシン》、モホリ=ナジによる1920年代の《光・空間・調節器》、ひいては洞窟絵画の描かれた光と陰の空間を想起させる)。

 80年代にスクラッチがターンテーブルを楽器に、レコードを新たな音楽のリソースとして発見したように、鈴木は音/書くこと、記号/絵画、光/影を相互浸透させる創造的介入を、書画カメラによって生み出した。「当時から現在に至るまで、自分にとって作ることは、世界を新しく把握し直すための発掘行為であり続けている」(鈴木)。鈴木はドローイングを発掘することで、世界を更新しつづけている。

2022年2月25日
終わらないドローイング ──「Drawings – Plurality 複数性へと向かうドローイング <記号、有機体、機械>」展レビュー|2022/1/21-2/7 PARCO MUSEUM TOKYO(https://hagamag.com/uncategory/10702)より該当部分を転載

鈴木ヒラク:発掘されるドローイング

14.01.07

 鈴木ヒラクは自身やこの世界のあらゆるものの始原としての宇宙と日常をつなぎ、たえざる思考と感性から発見、発掘したものを「ドローイング」として発表してきた。音、映像、ライブパフォーマンス、彫刻、インスタレーションなども、彼の実践においては広義のドローイングの方法としてある。

 鎮静的な空気の中、壁面には6点、黒い下地にシルバーで描かれたドローイングがあり、床には奥行きのある空間の奥へと誘うかのように、白色を帯びたアスファルトの断片が蛇行しながら置かれている。その向こうには小空間があり、暗がりの中、多様な記号が次々とプロジェクションされている。

 壁面のドローイングには、漆黒の彼方から放射状にこちらに向かってくるかのようなおびただしい数の記号の群れが描かれ、全体で有機的な形状を浮き上がらせている。キャンバス・ドローイング《Constellation》(2016-)である。鈴木にとって「光」こそが、ドローイングを描く根幹であるという(100年前に、光の芸術家を自称したモホリ=ナジを想起する)。描かれた記号は、世界のどこかにありそうに見えながら存在しないものたちで、記号と絵、意味と無意味の境界領域を漂っている。それらは意味に回収されえず、世界そのものと直接関係しようとする衝動の表出であり、シュルレアリスムの自動筆記と共振するものでもあるだろう。不定形の記号群がうごめくようなドローイングは、それぞれが(星)雲のようにミクロ/マクロの時間、空間スケールで不定形に変容しつづける粒子の状態に見える。

 近くで見ると、土とアクリルが混ざった黒のざらついた質感が暗闇世界(宇宙?)の流れをあらわすかのようである。その上に、鉱物である銀を含むシルバースプレーやマーカーで、点の集合体が描かれている。鈴木は制作プロセスについて、「闇に光を放つように線を描いている」という。コンステレーション(星座)は、距離(そして光年)の違いを超えて、見る側が星々の点を仮想的につなぐ(つないでしまう)ことで何らかの意味を生成させる。それは人間の本能的な知覚認知作用であり、意味は時代や自然・文化的背景に依存する。コンステレーションは、複数の点を直線で結ぶ一種のドローイングといえるが、本作では無数にさえ見える点が相互に絡まり合い、整合的な意味を結ぶことはない。コンステレーションの彼方、もしくは深淵へと私たちを誘うかのように。

 床上にアスファルトが並んだ作品《道路標識 カタツムリの歩行の跡》は、実際に使われていた道路の一部であり、白線の塗料や車や雨風に晒された痕跡が生々しい(そっと触れてみた)。本作では、道路がキャンバス、白線が下地、その上を通行した車や人などが(無意識的な)ドローイング主体、痕跡がドローイングといえる。鈴木は、道路という直線的な事物から直線的な白線(=記号)の断片をカットアップし、カタツムリの歩行が作るような曲線として(鈴木によれば「架空の記号」)見せた。カタツムリの歩みはゆっくりで、曲線を描く。人間や車とは異なる構造と粘液によって、地を進んでいく。それは蛇の歩行や河川の移動(長い時間をかけた)などと同様に、自然の描くドローイングともいえるだろう。

 歴史の中で、人は(動物も)地形に沿って自ずと道を開いてきた。谷や尾根沿いの道、また蛇行する河川が陸よりも地域をつなぐ経路としてあった。それを自然と人間が織りなすドローイングと見なすことができるだろう。しかし近代以降、鉄道や道路によって、直線的に地点をつなぐドローイングが世界中に張りめぐらされていった。

 私たちは「線」という言葉で直線を想起しがちだが、そもそも線には様々なものがあり、直線はその一部でしかない。ティム・インゴルドは、ユークリッド幾何学に遡る直線の概念が、ルネサンス以降、原因、結果、因果関係についての思考を支配するようになったとしている。そして「近代において確実だと思われたさまざまなものが疑われ、混乱の様相を呈するにつれて、かつては目的地に一直線に向かっていた道筋(ライン)は断ち切られ、生きるためにはさまざまな亀裂を縫って進むべき道を見つけなければならなくなった」と述べている(ティム・インゴルド『ラインズ』、左右社、2014/原著2007)。まさに私たちは、現在そのような場所にいる。鈴木は、近代以降の線の支配に対してそれ以前の、宇宙や自然に寄り添った線によるドローイングを発掘し、創造しようとする。
 鈴木はすでに幼少時から、「発掘」と「かくこと」が不可分の行為だと直感していたという。そして20年前に、自然環境からドローイングを「発掘」し、ドローイング作品として再構成する作業を開始、最初の記号は葉の葉脈で描かれ、ドローイングは路上のマンホールの記号をフロッタージュに由来するという(痕跡をドローイングとして発見、フロッタージュをドローイングと見なすこと、そしてそこには身体性や音がともなう)。

 その背景には、音と実験音楽に傾倒した10代の経験がある。実際鈴木の活動は、音から始まっている。採取した環境音を素材としたダブ音楽が、発掘としてのドローイング、存在しないものの痕跡の創造へと展開してきたという。鈴木が大学で音や映像を学んだ2000年前後は、グリッチミュージックが登場し、渋谷はその中心地となっていた。ラップトップ・ライブシーンでは、音と映像の新たな実験が活性化した時代である。そのような状況で、鈴木の中で自然や都市環境、音と映像、記号と絵などが、考古学や人類学とつながり始めたのだろう。00年代後半以降、これらの現象や行為を包摂する概念として、「ドローイング」へと至る。

 アスファルトとの蛇行の彼方の空間でプロジェクションされている記号は、2010年に出版された「GENGA」(鈴木の造語で、言語と銀河の間を意味)で、鈴木が身の回りで発見した1000もの記号の断片が瞬時瞬時に光のドローイングとして現れる。「洞窟」をイメージした空間は、人類が洞窟壁画で描いてきたドローイングや線刻画が意識されている。「GENGA」の洞窟は、ドローイングをめぐって、その始原を日常の中から発掘する試みであり、ひいては、過去、現在そして未来における可能態としてのドローイングへと向かうものであるだろう。

 そもそもドローイングは、洞窟壁画にまで遡ることができる。暗く不定形な洞窟の壁に火を灯して揺らぎの中で描かれたそれらは、自然への畏敬そして生存のための祈りの儀式でもありパフォーマンス的要素をもっている。
 人類史において、ドローイングは絵画に先行するはずである。絵画はドローイングよりも、描く素材や道具が複雑だが、ドローイングは引っ掻くことでも可能になる。それは物理的側面—音、立体性—に加え、身体の動きとしてのパフォーマンス的側面をもつ。それだけではない。人類最古の芸術行為は洞窟壁画ではなくタトゥーでは、という説が欧米のタトゥー愛好者では知られるという(ケロッピー前田『縄文時代にタトゥーはあったのか』、国書刊行会、2020)。その信憑性はともかく、切り傷やすり傷がたえない中、たまたま入った墨などからタトゥーが生まれた可能性もあるだろう。切り傷に入れるタトゥーは、針で刺す手法よりもドローイングに近いように思われる。

 鈴木は書くときの音、書くことと音の密接性を意識し、それらをつなげる実験を行ってきた。音と書くことの連動は、2000年代半ばに書画カメラを用いたライブ・パフォーマンスを編み出すことで、個人を超えて、音楽家以外も含む様々な人々とセッションをするDrawing Orchestraへと結実する(やんツーもメンバーの一人)。書画カメラというアナログ装置を「データベースに直接手を触れる」メディアとして発掘/ハックし、各人が即興的に書くことで音を与える現場ならではのコラボレーションである(B・ガイシンによる1950年代の《ドリームマシン》、モホリ=ナジによる1920年代の《光・空間・調節器》、ひいては洞窟絵画の描かれた光と陰の空間を想起させる)。

 80年代にスクラッチがターンテーブルを楽器に、レコードを新たな音楽のリソースとして発見したように、鈴木は音/書くこと、記号/絵画、光/影を相互浸透させる創造的介入を、書画カメラによって生み出した。「当時から現在に至るまで、自分にとって作ることは、世界を新しく把握し直すための発掘行為であり続けている」(鈴木)。鈴木はドローイングを発掘することで、世界を更新しつづけている。

2022年2月25日
終わらないドローイング ──「Drawings – Plurality 複数性へと向かうドローイング <記号、有機体、機械>」展レビュー|2022/1/21-2/7 PARCO MUSEUM TOKYO(https://hagamag.com/uncategory/10702)より該当部分を転載

生命の記号

14.01.06

 多孔質の溶岩を拾い集めたのが始まりだった。手近なところを歩き回り、鈴木ヒラクは愉しい標本が見つかればポケットに収めた。それから優美なシルバーインクと即興による流れを繰り、岩石からあらゆる方向に放射される光線を鏡のように反射させながら、《隕石が書く》を生み出した。些かの偶然の一致からか、わたしが今こうして筆を進める間にも、ペルセウス座流星群と呼ばれる隕石のシャワーがピークを迎える8月半ばに近づこうとしている。シャワーは流れ星として目に映る「宇宙の塵(痕跡)」の雲である。隕石が宇宙の岩石ならば、溶岩は火成の孔に記された謎めいた書体を開示するだろう。フランスの偉大な思想家マルグリット・ユルスナールは筋や割れ目から読み取れる岩石の来歴に思いを巡らせ、これらの「書き手のいない線刻は、岩石の年代記の初稿と見なせるのではないか」と記した1。たしかに劇的な舞台で展開する無音の物語は、宇宙の時間を現実の時間に結びつけ、幻想的な時間ベースのアートを創りだす。別世界を想像するのが観想のフィクションの創造なら、同じ意味でこれは観想のドローイング。これを複数の書体のアーカイヴとして位置づけることはできないだろうか。

  この種のドローイングには、まちがいなくパフォーマンスの側面がある。鈴木はパフォーマンスを作家活動の主要な一部としているから、それも驚くにはあたらない。美術館や屋外でのライヴ・パフォーマンスや、音響アーティストとの即興の共演はもとより、数名のかき手が同時にドローイングを行い、紙面を走るペンが音を立て、引っ掻く者があれば、マーカーを滑らせて真にケージ流の音の場にスクリーンを賑やかす者もある《ドローイング・オーケストラ》という公演も行なっている。宇宙と物質に寄せる興味から、鈴木は戦後美術の制作の多くを担ったインターメディアの戦略に有力な新しい次元を加え、それを崇高さに向かって押し上げた。彼の発見は、アートのメディアと生命のメディアをこうした制作方法に結実させ、具現化したことだ。インターメディアはアートの生態学の新たな進路を指し示したが、鈴木が拡張したドローイング(描く)/ライティング(書く)の領域は、人類史と自然史、芸術と科学の境界を越えるドローイングの生態学を提起する。

  活動の初期、鈴木は都会暮らしの身近にある記号や物体を目に留め、千点のドローイングからなる《GENGA》を制作した。ありふれていてだれもが見過ごしてしまうネジや把手、レバーやフックなど平凡な品々の、慎重で精緻な描画が小型本のページからページに連なる。線はあらゆる方角へ向かい、文字になる以前の古代の言語を時に暗示する。また黒い紙に描いた銀色の形を何とも判じ難いグリッド状に配した《GENZO》は、百科事典から発掘したかのよう。どの線も暗闇を貫く光。どのジェスチュアも作家自身のドローイングのアーカイヴに新しく加えられる。

  《歩く言語》とは不規則な走り書き、奇妙な形象が美術館の展示室の端から端までとりとめもなくひろがる壁画に鈴木がつけた呼称。わたしはこの考えが気に入った。この地理は何処を指し示すのか。そこに住む人々は何語を話すのか。かれらはどのようにそこを動き回るのか。鈴木は並の都会の彷徨者ではない。特別な見方で観察する。自分自身にも、つきつめればわたしたちにも、細心の注意を払って見るよう要求する。見る対象よりも、見つめるものを本当に見るのに必要な時間の感覚を重視する。地面に、宇宙空間に、日用品に、拾った物に、都市空間に、鈴木は「書かれたもの」を見いだす。土占いをしながら、星に到達しようと夢を見る。ドローイングすることは知ることだ。鈴木の作品は縮尺、動作、線、点、ブラックホール、記号、堆積に関わる。《Constellation(和:星座)》は炸裂する光と闇のうちに、宇宙空間とその計り知れない神秘を垣間見させる。《Interexcavation(和:相互発掘)》は自ら描いたイメージを理解するために、作者自身の内部を旅するよう求める。この作品はじつに触覚に訴えてくるものがあり、遺跡の壁に遺る古代の刻み文字のように読める。どこの? それはわたしたちになにを明かしてくれるのか。鈴木が壁にネジ留めした溶岩は隕石の伝えるメッセージの位置を定める。こうして世界最古の岩石がわたしたちの時代に再配置される。これらはもうひとつの世界、もうひとつのヴィジョン、もうひとつの時代から地球に向けて送られた記号である。精神と物質はいたるところにある。なにもかもが重要だ。ロバート・スミッソンはこういった。「脳そのものが、思想と理想の洩れだす侵蝕された岩石に似ている」2

  わたしはドローイングのなかの虚空に入ってみたい。ドローイングを見ると、自分がどこにいるのか、地上か空中か、わからなくなる。ドローイングの霊的なエネルギーを追いかけて、どこまでもついてゆく。

 

1 Marguerite Yourcenar, Introduction to The Writing of Stones, by Roger Caillois. (Charlottesville: University Press of Virginia, 1985), p. 18.

2 Robert Smithson, “A Sedimentation of the Mind: Earth Projects,” in The Writings of Robert Smithson, edited by Nancy Holt. (New York: New York University Press, 1979), p. 90.

無限とコンタクトするドローイング

14.01.05

思想課題としての「線」

近現代の美術史をひもとくと、「色彩」と並んで造形の基本的要素とされる「線」は、その発展段階によって二種類の機能に区別されることがわかる。まず、物の輪郭をかたどることで、実像・虚像を問わず、具体的な対象を空間の上に出現させること。そして、対象描写から離れることで、それ自体がアーティストの肉体や精神の純粋な記号として、空間の中で抽象的な運動を繰り広げることである。

これは、他動詞的な線と、自動詞的な線との相違だと言い換えることもできる。20世紀初頭に誕生した抽象芸術やシュルレアリスムは、後者に市民権を与えるものでもあった。ドローイングを重要な表現手段とするアーティストたちは、それら新しい美学がもたらす世界観と、従来の美術における規範的なものの考え方の間で、「線」の概念そのものをとらえ返し、多様な実験に乗り出していったのだ。

 

21世紀を生きる美術家として、鈴木ヒラクは「線」をめぐる哲学的な問いに対峙し続けてきた。彼のドローイングは、「他動詞的な線と自動詞的な線の相克」という歴史上の文脈に新しい一石を投じる、鋭い造形思想の表白である。

「鈴木ヒラク『今日の発掘』」展会場に設置された代表的な三つのシリーズ―〈Constellation〉〈Interexcavation〉〈隕石が書く〉―に含まれる作品群を見ると、どの空間も輪郭線を描くことから解放された抽象的な線条の集合によって構成されている。だが、よく観察すると、モノクロームの地に浮かぶ銀色の線には、その一本ずつが何かの記号をかたどったものではないかと思わされるような、ある種の規則性がある。漢字でも仮名でもアルファベットでもないが、未知の文明に属する文字を目にしたごとく、秘密の図ないし暗号めいた対象として、それらのドローイングの線を受容し、眺め入ってしまうのだ。

表現されたものが完全に自動詞的な線だけであれば、眼前の軌跡を「Xとして」認知することはないだろう。しかし、鈴木のドローイング空間には、明らかに求心的な構図が採用されており、多数の銀色の線が、無造作にではなく整然と集合した状態で定着されている。そのため、線相互の関係においても、鑑賞者は特定のパターン認識に至ろうとして、なかば無意識な努力を重ねていくことになるのだ。このとき、自律的に動いているかに見えた線の軌跡は、不定の対象を形成しようとするベクトルを内側に孕んだ事物へと変化している。すなわち鈴木ヒラクにおいては、他動詞的な線(具象性)と自動詞的な線(抽象性)が、コインの表裏のように一枚の作品の中で結合しているのである。

 

人類史の根源へつながる表現として

 日常的な事物とは対応しないが、すこぶる記号的であるという点では、具体的な意味世界への連絡を予感させる線の群れ。それでいて、解読のコードはどこにも見当たらない。あえて定式化すれば、概念の手前に留め置かれた線が、未詳の符号を空間の中に描き取っている。

このように考えを進めていくと、鈴木ヒラクのドローイングにおける線は、具象表現と抽象表現の「中間地帯」を鑑賞者に対して可視化するはたらきを帯びていることがわかる。言い換えれば、特定の物の姿を「再現する」ことを放棄する一方で、未知の記号を支持体の上に「記録する」ために線が引かれているようにも見えるのだ。しかしながら、鈴木が目指している芸術は、描写絵画を否定して、広義の文書に至るというような単純なものでもない。そのことは、彼自身がつとに言明している。

 

  ドローイングは、絵とことばの間にある。かつて、“描く”と“書く”は未分化であった。(1)

 

 人間が書く「ことば」は、造形作家の視点から眺めれば、抽象画のモチーフに属する外観を持っている。キュビスムの画家のみならず、アドルフ・ゴットリーブ(1903–1974)やウィレム・デ・クーニング(1904–1997)のような抽象表現主義の作家が、みずからの画面に文字的な形象を取り込んだ事実は、その証左である。言語の視覚的な受け皿である「文字」は、エクリチュールの場に登場するだけではなく、絵画としても表されうることが、かつて新鮮な驚きとともに「発見」された。

そうした美術史的な前提を踏まえた上で、鈴木は「描くこと(ペインティング)」にも「書くこと(ライティング)」にも与しない第三の道として、「線を引くこと(ドローイング)」にあえて照準を絞る。絵画史と文学史の広大な沃野の間隙を縫うようにして、ドローイング表現の系譜という隘路に思考の歩みを進めるのである。上に引用した彼のステートメントは、以下のように続いている。

 

  古代人は、いわゆる言語を使い始めるずっと前に、そこら辺に転がっている石や、洞窟の壁や、マンモスの牙に、天体のリズムを刻んだ。人間はそうして記号を発明し、文字や言語を生み出すことによって、常に未知なるものとして目の前に立ち現れてくる世界の中に自らを位置づけ、世界を研究し、世界と関わり合いながら生き延びてきた。(2)

 

 この文言から、鈴木の大胆な造形思考の一端をうかがうことができる。すなわち、ドローイングは、先史考古学の尺度で計られなければならないほど、人類の太古の記憶と強固に結びついた表現の領域だとされているのだ。そして、そうした主張を肉付けしていく過程で、彼の思考が何度も出会うことになったのが、石器時代の線刻画である。特に、洞窟の壁面に残された記号的な線の刻み目が、制作を進めていく上での重要な参照源の一つとなっている。

 洞窟壁画と言えば、ラスコー遺跡に代表される迫真的な動物の描写を思い浮かべがちである。しかし、鈴木ヒラクが着目するのは、画材を塗り重ねてできた狩猟の場の情景ではなく、岩壁を削り落として造形された抽象的な記号の方なのだ。本稿でこれまで用いてきた言い回しによって整理すれば、先史時代の人類の芸術活動の痕跡には、「他動詞的-具象的なペインティング」と、「自動詞的-抽象的なドローイング」へ向かう双方があるのだが、鈴木は、後者の傾向と自己の制作をリンクさせることで、現代における「線」の思想を鍛え上げようとしている。

 ただし、ペインティングを切り離したとは言っても、そこに立ち現れるのは自動詞的な線だけではない。他動詞的な、つまり、自己以外の対象を拠りどころとして次なる何かを生産するような性格を有した線との間にも、不可分な関係が保たれている点が鈴木作品の真骨頂なのである。

ここで問われるべきは、ドローイングとライティングの秘められた概念上の交通に他ならない。

 

宇宙を「搔く」

 鈴木ヒラクのドローイングは、先史時代の線刻表現との直感的な類似を見せるだけではなく、宇宙における地球外生命体とのコンタクトのような、SFめいた場面への連想をも許容するヴィジョンを提供している。過去と未来という時間のベクトルの違いはあるが、人類の想像力の限界を覗き込むにふさわしい「場所」であるという点において、洞窟遺跡と宇宙空間は通底するため、鈴木は意図的にこの二つを重ね合わせているように思われる。

そして、その際に、彼の中で思考の蝶番となっているはずの固有名詞を挙げることもできるだろう。すぐさま思い浮かぶのは、人類の思考表現に対する線刻画の根源性を「グラフィスム」という術語で主張したアンドレ・ルロワ=グーラン(1911–1986)や、隕石が書くシリーズのネーミングおよび制作法の着想源となった著作『石が書く』(1970)を書いたロジェ・カイヨワ(1913–1978)といった学者や思想家である。

だが、ドローイングとライティングの内在的な論理関係を整理するために必須なのは、むしろアメリカを代表する抽象画家の一人であるマーク・トビー(1890–1976)の名だ。この美術史上の先達の思想と作品を経由することで、鈴木ヒラクが練り上げた「ドローイング」概念の本質が十全なかたちで明らかになるのではないかと考える。

 トビーは、1930年代の半ばに、抽象表現主義の作家たちに先がけて、「オールオーヴァー」の様式に到達したとされている。それは、中心と周縁から成る構図を排し、画面を無数の細い線条で均質に覆うというものである。ただし、ニューヨークを拠点としたジャクソン・ポロック(1912–1956)のような画家と彼が決定的に異質なのは、太平洋をまたいだ中国や日本の書芸術を実地に学び、それを宗教的な宇宙観と結びつけた「ホワイト・ライティング」という言葉を用いて自己の様式を規定した点である。(3)「ホワイト・ライティング」の作品における蜘蛛の巣のように画面上に張り巡らされた白い線は、宇宙空間への瞑想を誘う光の束として存在している。しかも、トビーの意識にとって、それは「描く」のではなく「書く」対象であったのだ。

 鈴木ヒラクは、この「宇宙に書く」とも言うべきマーク・トビーの抽象画におけるコンセプトから大きな触発を受けている。そして、自身のドローイングを「宇宙を搔く」行為として発展的にとらえ直そうとしているように思われる。

「搔く」とは、傷をつけることだ。トビーが実習した書芸術の根底に横たわっているのも、実は、人間世界の外部に広がる「宇宙」に「線」という名のかすり傷を負わせ、その傷口から無数の存在者を湧出させるという思想なのではないかとの見方ができる。その場合、書家は、有限な紙の余白に墨の線を「書き加える」のではなく、無限の宇宙に切れ目を入れ、そこから文字という事象を「引き出す」作業をおこなっている―そうとらえた方が、筆墨表現の伝統と密接に結びついた、東洋的形而上学の観点やセンスを救出することにつながるだろう。

 鈴木の年来のコンセプトに照らして言えば、絵具を塗るペインティングの本質が「加算」にあるのに対し、書やドローイングは「減算的な表現」である。(4)それはつまり、表現者がゼロから造形物を創造するという倨傲を捨て、常に・すでに眼前にある「宇宙」へ畏敬の念を持って接触し、その内部に潜在するものをうやうやしく引き出していると思いなすことなのだ。こうした境地をめがけて、彼は一心に線を引く。

 

 充溢した空間から、未知の「線」を発掘するということ―鈴木ヒラクのドローイングは、無限の宇宙に出現する全ての存在者への讃歌として、現代という地層に出土し続けている。

 

 

(1)『言語と空間vol.1 鈴木ヒラク かなたの記号』青森公立大学国際芸術センター青森[ACAC]、2015年、3

(2)同上

(3)マーク・トビーは、19世紀のイランにおいて発祥した新しい一神教である「バハーイー教」を信仰していた。

(4)書家・石川九楊との対談「文字の起源」『ヒツクリコ ガツクリコ ことばの生まれる場所』(左右社、2017年)13–14頁における鈴木ヒラクの発言を参照。また、「加算」と「減算」という二分法の発想の源泉として、鈴木は文化人類学者のティム・インゴルド(1948–)の言説を念頭に置いていると思われる。

見えないものを引き出す線

14.01.03

群馬県立近代美術館で、鈴木ヒラクの個展「今日の発掘」が開催されている。展覧会に合わせ、鈴木の初のエッセイ集『ドローイング 点・線・面からチューブへ』も刊行された。

著書の題名にも示されているように、鈴木の関心の中心にあるのは「ドローイング」である。絵画の分野では「ドローイング」は、完成作としての油彩画に対して、習作としての素描という意味があり、従属的な軽いものというニュアンスを伴って用いられることも多い。

だが鈴木は、「ドローイング」をその原義、すなわち「(線を)引く(draw)」こととして、油彩画から独立したものとして捉える。そして、それを「引く」という行為の痕跡としてだけでなく、世界の法則を目に見えるように「引き出す」ものとして考えている。

さらに鈴木の独自性は、線をチューブに喩える点にある。国境のように何かと何かを隔てる境界線ではなく、ものが通り抜けるだけの太さを持ち、何かと何かを繋げ、行き来を生み出す通路としての線。

例えば、本展の「廊下」には、長く続くロール紙が両側の壁に貼られ、そこに曲がりくねった細い木の枝が無数に立てかけられている。枝の先には銀色のインクが付いており、ロール紙には同じ銀色の引っ掻いたような跡がある。作品解説によると、これはワークショップの「記録」で、「枝を『通して』線を引くことを試みた」という。

確かに、枝も線であり、同時に樹液を流すチューブである。その枝を握る腕も同様に、血液や神経が行き来するチューブであり、人と植物という違いを超えて、連続するもののように感じられる。その先が紙に触れたとき、そのチューブがさらに紙の上にまで伸びて線となるようなイメージだろうか。

個々の作品だけでなく、本展の展示構成に関しても、入り口に掲示された挨拶文に、磯崎新が設計したこの建物が「作品が通り抜けていく空洞として構想」されたとあり、はっとさせられた。本展は「展示室4、5」と一つの「廊下」を使って開催されているが、美術館において「展示室」と「廊下」を明確に区別することは実は難しい。廊下がどこまで広がれば部屋になるのか。「ギャラリー」の意味は「回廊」であり、宮殿の廊下のような空間に絵が掛けられたことが美術館の一つの起源である。本展で使われた3つの展示空間はひと続きになっており、一本のチューブとして捉えることができる。つまり、ドローイングなのだ。順路もいずれの入り口から進んでも見られるように設定されている。

このように、鈴木の作品を見て、その考えに触れると、「ドローイング」の意味が拡張し、様々なものを「ドローイング」として捉えることができることに気づく。このことが、鈴木の言う「(意味を)引き出す」ということなのだろう。

3つのうちの真ん中の展示空間では、壁から壁へと頭の上をまたいで、ワイヤーが2本渡され、中空に線を描きながら、いくつもの石を貫通し、浮かせている。そのワイヤーが取り付けられた壁には、鍵の穴のような図形が太い銀色の線で描かれている。反対側の壁にも同じ太さの同じ色の線で、上部が一部欠けた円が描かれている。何かの暗号のように見えたが、「作品解説」によるとこれは、美術館の近くにある前方後円墳である観音山古墳を上空から見た形だという。なるほどそう見ると、上が欠けた円形は、トップライトを取り入れるために天井から出っ張っている構造物の台形と組み合わさって、一つの鍵穴型を構成することがわかる。建物の一部が、この空間的なドローイングに取り込まれているのだ。そのことによって、トップライトが天井に沿ってチューブ状に伸びていることもまた意識され、それがワイヤーの線とも相まって、この展示室の長辺方向の方向性を強めるとともに、建物に意識を向けることで展示室が筒状であることをより強く感じさせる。

石は、両側の壁面全体に天井までの高さを使って、お互いに距離を取って展示された数々の平面作品の表面にも取り付けられている。これらは無数に小さな穴のあいた溶岩である。石の穴から出てきたエネルギーが発散されているかのように、周囲に銀色の線が描かれている。そして、画面を超えた石同士の配置は、星座を構成する星のようにも見える。

鉱物への関心は、古墳時代という人類の歴史を超えて、地球や宇宙の誕生というところまで想像を広げさせる。

展覧会タイトルの「発掘」には、見えない線を可視化するという意味とともに、根源へと掘り進める意思が込められているように感じられた。

雑誌「すばる」12月号