生命の記号

ボニー・マランカ(出版社PAJ Publications、雑誌『PAJ: A Journal of Performance and Art』発行人・編集者)

 多孔質の溶岩を拾い集めたのが始まりだった。手近なところを歩き回り、鈴木ヒラクは愉しい標本が見つかればポケットに収めた。それから優美なシルバーインクと即興による流れを繰り、岩石からあらゆる方向に放射される光線を鏡のように反射させながら、《隕石が書く》を生み出した。些かの偶然の一致からか、わたしが今こうして筆を進める間にも、ペルセウス座流星群と呼ばれる隕石のシャワーがピークを迎える8月半ばに近づこうとしている。シャワーは流れ星として目に映る「宇宙の塵(痕跡)」の雲である。隕石が宇宙の岩石ならば、溶岩は火成の孔に記された謎めいた書体を開示するだろう。フランスの偉大な思想家マルグリット・ユルスナールは筋や割れ目から読み取れる岩石の来歴に思いを巡らせ、これらの「書き手のいない線刻は、岩石の年代記の初稿と見なせるのではないか」と記した1。たしかに劇的な舞台で展開する無音の物語は、宇宙の時間を現実の時間に結びつけ、幻想的な時間ベースのアートを創りだす。別世界を想像するのが観想のフィクションの創造なら、同じ意味でこれは観想のドローイング。これを複数の書体のアーカイヴとして位置づけることはできないだろうか。

  この種のドローイングには、まちがいなくパフォーマンスの側面がある。鈴木はパフォーマンスを作家活動の主要な一部としているから、それも驚くにはあたらない。美術館や屋外でのライヴ・パフォーマンスや、音響アーティストとの即興の共演はもとより、数名のかき手が同時にドローイングを行い、紙面を走るペンが音を立て、引っ掻く者があれば、マーカーを滑らせて真にケージ流の音の場にスクリーンを賑やかす者もある《ドローイング・オーケストラ》という公演も行なっている。宇宙と物質に寄せる興味から、鈴木は戦後美術の制作の多くを担ったインターメディアの戦略に有力な新しい次元を加え、それを崇高さに向かって押し上げた。彼の発見は、アートのメディアと生命のメディアをこうした制作方法に結実させ、具現化したことだ。インターメディアはアートの生態学の新たな進路を指し示したが、鈴木が拡張したドローイング(描く)/ライティング(書く)の領域は、人類史と自然史、芸術と科学の境界を越えるドローイングの生態学を提起する。

  活動の初期、鈴木は都会暮らしの身近にある記号や物体を目に留め、千点のドローイングからなる《GENGA》を制作した。ありふれていてだれもが見過ごしてしまうネジや把手、レバーやフックなど平凡な品々の、慎重で精緻な描画が小型本のページからページに連なる。線はあらゆる方角へ向かい、文字になる以前の古代の言語を時に暗示する。また黒い紙に描いた銀色の形を何とも判じ難いグリッド状に配した《GENZO》は、百科事典から発掘したかのよう。どの線も暗闇を貫く光。どのジェスチュアも作家自身のドローイングのアーカイヴに新しく加えられる。

  《歩く言語》とは不規則な走り書き、奇妙な形象が美術館の展示室の端から端までとりとめもなくひろがる壁画に鈴木がつけた呼称。わたしはこの考えが気に入った。この地理は何処を指し示すのか。そこに住む人々は何語を話すのか。かれらはどのようにそこを動き回るのか。鈴木は並の都会の彷徨者ではない。特別な見方で観察する。自分自身にも、つきつめればわたしたちにも、細心の注意を払って見るよう要求する。見る対象よりも、見つめるものを本当に見るのに必要な時間の感覚を重視する。地面に、宇宙空間に、日用品に、拾った物に、都市空間に、鈴木は「書かれたもの」を見いだす。土占いをしながら、星に到達しようと夢を見る。ドローイングすることは知ることだ。鈴木の作品は縮尺、動作、線、点、ブラックホール、記号、堆積に関わる。《Constellation(和:星座)》は炸裂する光と闇のうちに、宇宙空間とその計り知れない神秘を垣間見させる。《Interexcavation(和:相互発掘)》は自ら描いたイメージを理解するために、作者自身の内部を旅するよう求める。この作品はじつに触覚に訴えてくるものがあり、遺跡の壁に遺る古代の刻み文字のように読める。どこの? それはわたしたちになにを明かしてくれるのか。鈴木が壁にネジ留めした溶岩は隕石の伝えるメッセージの位置を定める。こうして世界最古の岩石がわたしたちの時代に再配置される。これらはもうひとつの世界、もうひとつのヴィジョン、もうひとつの時代から地球に向けて送られた記号である。精神と物質はいたるところにある。なにもかもが重要だ。ロバート・スミッソンはこういった。「脳そのものが、思想と理想の洩れだす侵蝕された岩石に似ている」2

  わたしはドローイングのなかの虚空に入ってみたい。ドローイングを見ると、自分がどこにいるのか、地上か空中か、わからなくなる。ドローイングの霊的なエネルギーを追いかけて、どこまでもついてゆく。

 

1 Marguerite Yourcenar, Introduction to The Writing of Stones, by Roger Caillois. (Charlottesville: University Press of Virginia, 1985), p. 18.

2 Robert Smithson, “A Sedimentation of the Mind: Earth Projects,” in The Writings of Robert Smithson, edited by Nancy Holt. (New York: New York University Press, 1979), p. 90.

 

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