かなたの記号(Artist Statement)

鈴木ヒラク

 ドローイングは、絵とことばの間にある。
かつて、“描く”と”書く”は未分化であった。古代人は、いわゆる言語を使い始めるずっと前に、そこら辺に転がっている石や、洞窟の壁や、マンモスの牙に、天体のリズムを刻んだ。人間はそうして記号を発明し、文字や言語を生み出すことによって、常に未知なるものとして目の前に立ち現れてくる世界の中に自らを位置づけ、世界を研究し、世界と関わり合いながら生き延びてきた。
いまここを生きる私たちは、既存の言語の概念だけで、この世界の新しい時間と空間の広がりの中で起こっていることを充分に理解し、未来を指し示すことはできるだろうか。

 僕の方法論は、この現在進行形の世界に対応した、もうひとつ別の考古学としてドローイングをとらえてみることだ。まず既に遍在している亀裂から世界に入り込み、世界を点と線に解体することからはじまる。
例えば路上にゆらぐ木漏れ日の形や、アスファルトの白線の欠片や、葉脈のカーブ、読めない数式、グラフィティ、肌に浮いた血管、ビルの輪郭、中国の棚田の地形、地下道での靴音の響き方、獣道、レコードの溝、熱帯植物の枝振り、車のヘッドライトの残像、SF映画のシーンに一瞬映る看板に描かれた架空の会社のロゴマーク、飛んでいる蚊が空間に描く軌跡。
そこにある点と線をよく見る。反対側からも見る。そしてなぞる。身体を使う。再配置する。何か現象を起こす。繰り返す。

 こうして、解体された世界の欠片をつないで、新たな線を生む。この線は、”いまここ”と”いつかどこか”を接続する回路となる。その回路を行ったり来たりするのは、絵でもことばでもない、ただの記号である。このただの記号を、変化し続ける現在において発掘すること。
僕の仕事は、離ればなれになってしまった”描く”と”書く”のあいだの闇、そのかなたに明滅する光の記号を見いだし、獲得し続けることである。

2015年3月
国際芸術センター青森(ACAC)での個展”かなたの記号”に寄せて

 

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