彼方をつなぐ─もうひとつの言語としてのドローイング

服部浩之(青森公立大学国際芸術センター青森[ACAC]学芸員)

 鈴木ヒラクは、いわゆる線描画のみでなく壁画や写真、映像、鋳造など多様な媒体に渡る表現行為の総体をドローイングと定義する。それは我々が通常用いる言語とは別の方法で、世界を捉え、共有可能な普遍性を備えた新たな言語のようなものを獲得する試みと言えるかもしれない。

 「光の現象」と「反転」は、本展を読み解く重要な鍵であり、空間のシークエンスは光と闇のネガポジ反転 の連続で構成されている。鑑賞者は薄暗いエントランスの先にうっすらと照らされる作家のステイトメントをまず目にし、振り向いて展示室に入ると上部の水平窓から外光が降り注ぎ白く照らし出された湾曲する巨大なヴォイド空間に行き当たる。水平窓向かいの全長約55mの壁面は、シルバーインクで描かれた壁画《歩く言語》に覆われている。その反対側には、鈴木が収集した古今東西の博物館のカタログに掲載された遺物の輪郭をトレースしてステンシルをつくり、シルバーのスプレーを吹き付けることで遺物の形態を取り出した《casting》91点が一列に整然と並べられている。また、湾曲壁と交わる両側の側壁面には対称形に渦を巻く《Circuit #6》と《Circuit #7》が設置されており、時空間が反転するような錯覚を生む。湾曲するヴォイド空間を抜けると明暗が反転し仄暗い小部屋に至る。ここには黒い紙にシルバースプレーなどで即興的に描いたドローイング《GENZO》シリーズを撮影し写真に変換した《GENZO(写真)》84点が壁面に並ぶ。写真とは光によって記述する行為であり、ドローイングは光学的変換を経て複製可能な写真となる。原画と写真はネガポジの関係にあるのだ。
 行き止まりのこの小部屋から引き返し再び明るい回廊空間を通り抜け、一旦屋外へ出て向かいの展示室に至ると、そこには最も深い暗闇が広がる。トーチを手にし、再び洞窟へと入るように暗闇に潜る。入口脇の壁面には、宇宙空間に描かれたかのように中空で変化し続ける巨大なドローイング《GENGA#001-#1000 (video)》が目に入る。また正面壁をトーチで照らすと、発光する宇宙人のような得体の知れない《鍵穴》が存在する。これは光を正面に再帰反射するリフレクターにより形成されたドローイングで、鑑賞者が光を向けることで自ら発光するかのように振舞う。さらにその向かいの暗い壁面には《GENZO #1》と《GENZO #2》が設置されている。光で照らすことにより部分が際立ちスプレーの飛沫や線の躍動感などを強く感じられる。トーチの光とともに経験するこの空間は地下の洞窟のようであり、同時にはるか空の彼方の宇宙空間の様相をも呈する。

 ところで、鈴木のドローイングにおけるネガポジ反転という発想は、マイケル・ハイザーによる大地を幾何学的に掘削するランド・アート作品群を想起させる。ハイザーの大地を掻き取り巨大な線を刻む減算のドローイングは、紙上に画材をのせて描く加算的なドローイングに対してネガ的に反転したあり方だ。《歩く言語》において、作品に取り込まれるようにその内部に没入する感覚や、少し距離をおいて俯瞰し移動することで身体的に知覚する作品体験は、ランド・アートの経験と極めて近しいものだ。ハイザーが大地に刻印するなら、鈴木は光の現象により中空に刻印すると言えよう。

 《歩く言語》は、鈴木が短期間の滞在制作により描いたもので、そのドローイングの真髄がよく反映されている。鈴木の壁画は、空間に触発され、対話するように、その瞬間にその場で描かれるものだ。約100年前にワシリー・カンディンスキーは当時の先鋭的な音楽に強い影響を受け一連の《インプロヴィゼーション》や《コンポジション》のシリーズを生み出したが、まさに鈴木のドローイングにおいて即興(インプロヴィゼーション)と構築(コンポジション)は要だ。カンディンスキーによる点と線と色彩による暗示的で記号性の高いドローイングは、抽象画という新しい表現の方法論を切り開いただけでなく、同時に太古の人類が洞窟に残した壁画がもつようなイメージの喚起力と普遍性を備えている。一方で、鈴木の運動と光によりその様相が変化する壁画は、遥か昔から存在した象形文字のように、あるいはいつか生まれる新たな言語のように見えるなど、遠く離れた過去と未来を結びつける。

 また、鈴木のドローイングも音楽的な側面をもつ。《歩く言語》において、その瞬間における描線は即興演奏に近いかたちで瞬間的な応答として起こるが、同時にその作品構造は論理的で構築的なものでもある。鈴木は、この空間の水平に流れる回廊性を強く意識し、五線譜のように基底となる水平線を最初に描く。そしてそこに、点や線による様々なラインを加え、文字やもののかたちを想起させるような記号群が形成されていく。全体を見渡し、密度の変化を与えリズムを産むように、部分的にさらに水平線が加えられていく。これらシルバーで描かれたラインは、向かいの壁面上部の水平窓から降り注ぐ自然光を反射する。鑑賞者は移動することで、少し先にみえるその光を追うように壁画に見入る。次に振り返ると今度は背後に光を発する記号が存在し、光に追われる感覚をも覚える。このシルバーのラインは、光との関係において、ときに白く輝き、ときに黒く刻印される。同じ描線が光により、はかない刹那の存在にも、古くからそこに刻まれていた原初的な存在にも感じられ、その在り方も次々に反転していくのだ。

 一方で《歩く言語》は、ことばのもつ視覚的側面である物質性や具体性に着目し空間化を試みたコンクリート・ポエトリーなどをも想起させる。光の現象を与えることで、そのうえに相互性と変質性を備える《歩く言語》は、コンクリート・ポエトリーのさらに少し先にある視覚的な言語表現を探求するものとも言えるかもしれない。

 鈴木は、ことばと絵、光と闇、あるいは過去と未来など、遠い地点にあり容易には繋がらないと思われる事象を、そのあいだに散らばる様々な切片を手掛かりとして、そこに多様な線(ライン)を見出し接続していく。その態度はまさに考古学のそれであり、この世界を紐解くひとつの方法であろう。このような態度をドローイングと定義する鈴木は、現実にそしてメタフォリカルに線を描き様々な反転を起こすことで、まさに「”いまここ”と”いつかどこか”を接続する回路」 を築くべく、世界に問いを投げかけ、同時に世界を解明する独自の言語を探求し続けていくだろう。

1- 鈴木ヒラクは「ネガポジ反転」という表現を度々用いる。
2- 鈴木ヒラクのステイトメントより抜粋。

2015年12月30日
個展”かなたの記号”カタログに掲載

 

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