シグナルとしてのドローイング

鈴木ヒラク

 僕がドローイングを始めたのは3歳の頃でした。父が建築の仕事をしていたので、家にはいつも図面の青焼きがあって、その裏にモアイのような絵を描いていたことを覚えています。また、子供の頃は発掘少年で、土器のかけら、鉱物や化石なんかを近所で発掘して遊んでいました。そして10歳の頃にロゼッタストーンの写真を見て、石に刻まれた謎めいた文字の形に完全に惹かれてしまい、それが解読された経緯を知るにつれ、将来は考古学者になりたいと思うようになりました。

 いま僕はアーティストとして、紙やパネルの上にドローイングをしたり、壁画・インスタレーション・フロッタージュ・ライブドローイング・映像など、様々な自分自身の作品を作るという仕事をしているし、それらの作品はすべて、人間が何かを「描く」という営為の、今日の世界における、新しい可能性の追求だと認識しています。しかし、いつも僕が描く行為の中で実践しているのは、何か個人的な事象や風景やアイディアを「表す」ことよりも、やはりいまここに秘められた何かを「発見する」という発掘に近いことなのです。

 もともと19世紀に入るまで、考古学はアーティストの仕事でした。そして未だに、僕たちの過去という時空間の中には解読されていない広大な領域が広がっています。僕は、人類史においてドローイングが始まった、その瞬間のことについて思いを巡らせてしまいます。それは文字の始まりとも共時性を持っていたはずです。もちろんそれらの始原については様々な仮説がありますが、僕がいま最も関心があるのは、約3万5千年前の後期旧石器人が、そこらに転がっている何の変哲もない石に刻んだ 29本の線について、繰り返す月の満ち欠けを記録したものだとする説です。ここに僕たちは4つの要素:光・変容・石・そして刻むという行為、を見出すことができます。この29本の線が最も原始的な文字、あるいはドローイングであるとするなら、それらは過去の時間の記録であると同時に、未来の時間の変容を指し示すシグナルだと言えるでしょう。

 ご存じのように、僕の国、日本はいま、かつてない危機に直面しています。そしてこれはもはや日本に限られた局地的な関心事ではなく、また現在生きている人間だけの問題でもありません。いま、アートと呼ばれるものと、人間の存在自体との本来の強い結びつきを、現実的な意味で考え直さなければいけない時が来ているのだと思います。それをするために僕たちは、まず、「いま」が過去や未来から切り離されたひとつの点ではない、ということを知る必要があります。僕は、人間は描くという行為によって、また描かれた痕跡を見るという行為によって、「いま」という瞬間をそれぞれの時間軸の中で捉えることができる、と信じています。なぜなら、ドローイングは、その始原からずっと、人間が直接的に向き合っている現状と、長い長い宇宙的な時間との交差点であり続けているからです。

 ウィンブルドンでの僕の個展「光の象形文字」では、ロンドン滞在中に制作した約40点のドローイングと、いくつかの彫刻作品を出品する予定です。すべての作品は、描くという行為の中で、いま僕が滞在しているチェルシー周辺の環境と、考古学や言語学への関心が交差しています。最近は、道路に落ちている木漏れ日の形の変容、その残像にとても想像力を喚起されています。僕はこれらの作品達が、日常の中にありふれた「しるし」や「現象」の、とても些細な記憶を未来へとつなぐ、創造的な媒介物になることを願っています。

2011年7月
ロンドン芸術大学出版「Bright6」に寄稿(発行:University of the Arts London)

 

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