鈴木ヒラク:発掘されるドローイング

四方幸子(キュレーティングおよび批評)

 鈴木ヒラクは自身やこの世界のあらゆるものの始原としての宇宙と日常をつなぎ、たえざる思考と感性から発見、発掘したものを「ドローイング」として発表してきた。音、映像、ライブパフォーマンス、彫刻、インスタレーションなども、彼の実践においては広義のドローイングの方法としてある。

 鎮静的な空気の中、壁面には6点、黒い下地にシルバーで描かれたドローイングがあり、床には奥行きのある空間の奥へと誘うかのように、白色を帯びたアスファルトの断片が蛇行しながら置かれている。その向こうには小空間があり、暗がりの中、多様な記号が次々とプロジェクションされている。

 壁面のドローイングには、漆黒の彼方から放射状にこちらに向かってくるかのようなおびただしい数の記号の群れが描かれ、全体で有機的な形状を浮き上がらせている。キャンバス・ドローイング《Constellation》(2016-)である。鈴木にとって「光」こそが、ドローイングを描く根幹であるという(100年前に、光の芸術家を自称したモホリ=ナジを想起する)。描かれた記号は、世界のどこかにありそうに見えながら存在しないものたちで、記号と絵、意味と無意味の境界領域を漂っている。それらは意味に回収されえず、世界そのものと直接関係しようとする衝動の表出であり、シュルレアリスムの自動筆記と共振するものでもあるだろう。不定形の記号群がうごめくようなドローイングは、それぞれが(星)雲のようにミクロ/マクロの時間、空間スケールで不定形に変容しつづける粒子の状態に見える。

 近くで見ると、土とアクリルが混ざった黒のざらついた質感が暗闇世界(宇宙?)の流れをあらわすかのようである。その上に、鉱物である銀を含むシルバースプレーやマーカーで、点の集合体が描かれている。鈴木は制作プロセスについて、「闇に光を放つように線を描いている」という。コンステレーション(星座)は、距離(そして光年)の違いを超えて、見る側が星々の点を仮想的につなぐ(つないでしまう)ことで何らかの意味を生成させる。それは人間の本能的な知覚認知作用であり、意味は時代や自然・文化的背景に依存する。コンステレーションは、複数の点を直線で結ぶ一種のドローイングといえるが、本作では無数にさえ見える点が相互に絡まり合い、整合的な意味を結ぶことはない。コンステレーションの彼方、もしくは深淵へと私たちを誘うかのように。

 床上にアスファルトが並んだ作品《道路標識 カタツムリの歩行の跡》は、実際に使われていた道路の一部であり、白線の塗料や車や雨風に晒された痕跡が生々しい(そっと触れてみた)。本作では、道路がキャンバス、白線が下地、その上を通行した車や人などが(無意識的な)ドローイング主体、痕跡がドローイングといえる。鈴木は、道路という直線的な事物から直線的な白線(=記号)の断片をカットアップし、カタツムリの歩行が作るような曲線として(鈴木によれば「架空の記号」)見せた。カタツムリの歩みはゆっくりで、曲線を描く。人間や車とは異なる構造と粘液によって、地を進んでいく。それは蛇の歩行や河川の移動(長い時間をかけた)などと同様に、自然の描くドローイングともいえるだろう。

 歴史の中で、人は(動物も)地形に沿って自ずと道を開いてきた。谷や尾根沿いの道、また蛇行する河川が陸よりも地域をつなぐ経路としてあった。それを自然と人間が織りなすドローイングと見なすことができるだろう。しかし近代以降、鉄道や道路によって、直線的に地点をつなぐドローイングが世界中に張りめぐらされていった。

 私たちは「線」という言葉で直線を想起しがちだが、そもそも線には様々なものがあり、直線はその一部でしかない。ティム・インゴルドは、ユークリッド幾何学に遡る直線の概念が、ルネサンス以降、原因、結果、因果関係についての思考を支配するようになったとしている。そして「近代において確実だと思われたさまざまなものが疑われ、混乱の様相を呈するにつれて、かつては目的地に一直線に向かっていた道筋(ライン)は断ち切られ、生きるためにはさまざまな亀裂を縫って進むべき道を見つけなければならなくなった」と述べている(ティム・インゴルド『ラインズ』、左右社、2014/原著2007)。まさに私たちは、現在そのような場所にいる。鈴木は、近代以降の線の支配に対してそれ以前の、宇宙や自然に寄り添った線によるドローイングを発掘し、創造しようとする。
 鈴木はすでに幼少時から、「発掘」と「かくこと」が不可分の行為だと直感していたという。そして20年前に、自然環境からドローイングを「発掘」し、ドローイング作品として再構成する作業を開始、最初の記号は葉の葉脈で描かれ、ドローイングは路上のマンホールの記号をフロッタージュに由来するという(痕跡をドローイングとして発見、フロッタージュをドローイングと見なすこと、そしてそこには身体性や音がともなう)。

 その背景には、音と実験音楽に傾倒した10代の経験がある。実際鈴木の活動は、音から始まっている。採取した環境音を素材としたダブ音楽が、発掘としてのドローイング、存在しないものの痕跡の創造へと展開してきたという。鈴木が大学で音や映像を学んだ2000年前後は、グリッチミュージックが登場し、渋谷はその中心地となっていた。ラップトップ・ライブシーンでは、音と映像の新たな実験が活性化した時代である。そのような状況で、鈴木の中で自然や都市環境、音と映像、記号と絵などが、考古学や人類学とつながり始めたのだろう。00年代後半以降、これらの現象や行為を包摂する概念として、「ドローイング」へと至る。

 アスファルトとの蛇行の彼方の空間でプロジェクションされている記号は、2010年に出版された「GENGA」(鈴木の造語で、言語と銀河の間を意味)で、鈴木が身の回りで発見した1000もの記号の断片が瞬時瞬時に光のドローイングとして現れる。「洞窟」をイメージした空間は、人類が洞窟壁画で描いてきたドローイングや線刻画が意識されている。「GENGA」の洞窟は、ドローイングをめぐって、その始原を日常の中から発掘する試みであり、ひいては、過去、現在そして未来における可能態としてのドローイングへと向かうものであるだろう。

 そもそもドローイングは、洞窟壁画にまで遡ることができる。暗く不定形な洞窟の壁に火を灯して揺らぎの中で描かれたそれらは、自然への畏敬そして生存のための祈りの儀式でもありパフォーマンス的要素をもっている。
 人類史において、ドローイングは絵画に先行するはずである。絵画はドローイングよりも、描く素材や道具が複雑だが、ドローイングは引っ掻くことでも可能になる。それは物理的側面—音、立体性—に加え、身体の動きとしてのパフォーマンス的側面をもつ。それだけではない。人類最古の芸術行為は洞窟壁画ではなくタトゥーでは、という説が欧米のタトゥー愛好者では知られるという(ケロッピー前田『縄文時代にタトゥーはあったのか』、国書刊行会、2020)。その信憑性はともかく、切り傷やすり傷がたえない中、たまたま入った墨などからタトゥーが生まれた可能性もあるだろう。切り傷に入れるタトゥーは、針で刺す手法よりもドローイングに近いように思われる。

 鈴木は書くときの音、書くことと音の密接性を意識し、それらをつなげる実験を行ってきた。音と書くことの連動は、2000年代半ばに書画カメラを用いたライブ・パフォーマンスを編み出すことで、個人を超えて、音楽家以外も含む様々な人々とセッションをするDrawing Orchestraへと結実する(やんツーもメンバーの一人)。書画カメラというアナログ装置を「データベースに直接手を触れる」メディアとして発掘/ハックし、各人が即興的に書くことで音を与える現場ならではのコラボレーションである(B・ガイシンによる1950年代の《ドリームマシン》、モホリ=ナジによる1920年代の《光・空間・調節器》、ひいては洞窟絵画の描かれた光と陰の空間を想起させる)。

 80年代にスクラッチがターンテーブルを楽器に、レコードを新たな音楽のリソースとして発見したように、鈴木は音/書くこと、記号/絵画、光/影を相互浸透させる創造的介入を、書画カメラによって生み出した。「当時から現在に至るまで、自分にとって作ることは、世界を新しく把握し直すための発掘行為であり続けている」(鈴木)。鈴木はドローイングを発掘することで、世界を更新しつづけている。

2022年2月25日
終わらないドローイング ──「Drawings – Plurality 複数性へと向かうドローイング <記号、有機体、機械>」展レビュー|2022/1/21-2/7 PARCO MUSEUM TOKYO(https://hagamag.com/uncategory/10702)より該当部分を転載

 

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