探究心の解けない結び目

サイモン・ケイナー(考古学者/セインズベリー日本藝術研究所総括役所長及び考古・文化遺産学センター長)

 長いあいだ、鈴木ヒラクが抱き続けている考古学への憧憬。きっかけはよくあるように、幼少期の家の近くに存在していた古代の物に刻み込まれた痕跡との出会いからだった。心に火がつき、彼はそれを守り育て続けた。「子供の頃は、考古学者になることを夢見ていたんです」と言う人がなんと多くいることか。つまり、日本語で「キツイ、キケン、キタナイ」の頭文字をとって“3K”と言われることもある厳しい労働環境の仕事より、彼らは結局は合理的に生計を立てる道をとったということだ。しかし、大人になってからも考古学者を目指し続ける人々にとっては、土器片、石の切片、骨の欠片等は、ただの儚く消える痕跡などではない。それどころか、私たちはどのようにして今の“人間”に至ったのだろう?といった問いへ確かな証しを示し、 一生をかけて追い求めるに値する、またとないものを与えてくれる。それらの宝物は最も魅惑的な解けない謎なのである。自分達の存在を、物のかたちある文化を通して表現しようとするのは生き物の中でも唯一、人間だけだ。表現の中に埋め込まれた思考は、素晴らしい芸術を刺激する可能性もまた持っている。まさに、この芸術と考古学の交差する点こそ、心が強く揺さぶられる程までに 、鈴木が彼の作品において切り拓いている場処なのである。

 昔から続く日常の生と死。ありふれた営みを遺した物に向き合い、考古学者は創造性、技能、知性、粘り強さといった自分の持てる総力を結集せずにいられない。そのようにして、私たちは発掘された物質的な証拠に基づいて、はじめからおわりまで意味の通った過去の物語を作り上げる。製作された方法と使われた材料に従って系列立て、カテゴライズし、遺物がそれをもたらした人々について語ることとその理由を解釈する。私は、この秩序を現す、ということの中には必ず、美というものが存在すると思うのだ。人々の感覚を魅了し、時には対峙しながらも、芸術とは美を追い求めるクリエイティビティから生まれる能動的な行為である。ならばその意味において、考古学の芸術、というものについて語ることができるのではないか。私たちは鈴木の作品を通して、博物館や発掘調査報告書において見慣れた形を、新鮮な眼差しでとらえることが可能になる。はじめはランダムなうねる走り書きのように思われていたものが、次第に興味深い問いをかき立てるモチーフへと変わってゆく。それらを見つめていると、昔の芸術家が、線、形、リズム、シンメトリーに潜む可能性をいかに探求していたかを思う。それらは“概念”についての語彙が発展するよりもずっと前から存在していたのだ。さらには、彼の作品を見るものは、過去からやって来た謎の物体に、幼い日に対面した時の彼自身の好奇心の源を汲み上げながら、自分自身の認識に問いを投げかけることになる。例えば、今見ているものが表しているものは鏃なのか、それとも土偶なのか、どうやって分かるのだろう? 何の要素があれば、石匙を他の石器の種類から見分けることができるのだろう? というように。

 芸術と考古学の関係は複雑で微妙なところがある。英国では多くの発掘現場において、アーティスト達との協働により、採掘者と共に夢中になった遺物の来し方を、一般へわかりやすく見せる形にしている。考古学者の中にはここにかなりの芸術的才能を発揮する人もいるが、鈴木自身がもし選択していたならば、傑出した考古学者となっていたことだろうと私は確信している。現在、考古学学会でも定期的に芸術の分野からの介入の例が発表されている。解釈を絵で図示する出版物や博物館での展示にも非常に力を入れているところである。また、私が現在教鞭をとるイースト・アングリア大学では「創作的なノンフィクション」という現代文学の注目のジャンルを授業で実践中である。この一見撞着語法のように思えるものも、実際には、現実にとっての新しい窓となり、人間の経験の多様性を表現する別の方法となりうるのだ。鈴木ヒラクの芸術作品は、考古学が編み上げる物語に鮮烈な、難易度の高い視野を与えてくれる。私たちをその視界の中に引き入れ、人間の通って来た道について、一層深く探求したい気持ちを起こさせるのである。


2019年11月

“SILVER MARKER—Drawing as Excavating”に掲載

 

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