鋳造と投げ釣り

鈴木ヒラク

 ちょうど一年前、ロンドンで初めて鋳造による制作をしたとき、僕はこの「鋳造 (casting)」という語が、同時に「投げ釣り」や「投影」を意味するということがとても面白いな、と思った。

 ロンドンの鋳造所では、最も原始的な鋳造法のひとつである砂型鋳造(sand casting)という方法で、”光の象形文字 (Glyphs of the Light)”というタイトルの、架空のロゼッタストーンのような彫刻作品を作った。まずは石膏でまっさらな石盤をたくさん作り、その表面には、ヒエログリフの代わりに、風で揺れている木漏れ日のカタチの残像からとったドローイングを彫り入れた。それを今度は粒子の細かい砂に埋めて打ち固め、パカッと外してネガとポジの反転された型を作る。(この時点で石膏はもういらないので、割って砕いて、再利用に回す。)こうして作った鋳型に、熱で溶かしたアルミニウムを流し込み、一晩冷やせば、最終的に木漏れ日の記号が刻まれた銀色の文字盤ができ上がっている。

 この鋳造という工程は、僕のあらゆるドローイング制作の核心にあるプロセス、つまり「見ること」と「描かれたもの」との間で起こっていることを、実際に再認識させてくれるものだった。もともとあった物質や記憶が消えて、それらの痕跡としての新しい物質や記憶が現れるまでに、様々なネガポジ反転現象が起こっているということ。そもそも反転というのは、約3万5千年前の旧石器人がショーヴェ洞窟に施した手形(ネガティヴハンド)に始まって、19世紀に生まれた写真術にも通底する、イメージの生成技術である。これによって現実そのものを「鋳型」として、ネガポジ反転=鋳造されたイメージが現実の隣りに現像される。さらに、こうして生まれたイメージもまた「見られる」ことによって、すでに「描かれたもの」という、もうひとつ別の現実となり、次の鋳造のための型になるわけだ。こうしてイメージはまた新たなイメージへ、現実は新たな現実へと鋳造され続け、もともとそこにあったものは痕跡を残して忘れ去られ、フィードバックの外へとじわじわ拡張していく。だから鋳造は、エコーを生む技術だと言える。

 オノ・ヨーコが「あらゆる線は円の一部」と言っていたが、たしかに現実にある線を細かく見ると、どれも震えていたり曲がっていたりして、延長していけばそれらは必ずいびつな円=「島」を形作る。だから全ての線は内と外の空間と時間を分つ境界線であり、波打ち際なのだ。皮膚が体内と体外の空間を分つ波打ち際であるように、現在という瞬間は過去と未来の時間を分つ波打ち際である。
僕はまず「見ること」によってこの波打ち際をなぞる。そしてそのエッジに立って、見たこともないような魚を目がけて、できるだけ遠くへ釣り針を投げる。魚がかかったその瞬間に、釣り糸は内と外をつなぐ回路となり、やがて内と外が反転する。つまりかつての自分は消えてしまい、今度は魚の方が自分自身になっている。ポジはネガになり、未来は過去になる。あるいはネガがポジになり、過去が未来になる。これを繰り返すことで、エコーが生まれる。アーサー・ラッセルの音楽アルバム「World of Echo」のように、エコーだけで作られたもうひとつ別の世界を、現実と呼ばれている世界の隣に作りだす。それは常に現実と反転し合いながら、時間と空間の境界線を変容させ、拡張し続ける。

 一連のシリーズ”casting”は、博物館のカタログなどに印刷された資料写真の切り抜きを用いて、こういった「鋳造=投げ釣り」というプロセスを平面上で象徴的に行うという試みである。

2012年7月
小金沢健人氏との二人展”Panta Rhei”に寄せて

 

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