ドローイングと時間

鈴木ヒラク

 ドローイングは時間芸術である。それはまず、固定化された結果よりも過程としての身ぶりや思考の動きそのものを指す。そして動きには時間が伴う。しかしドローイングは、この一回性の運動が行われるところのリニアな時間軸だけを内包するわけではない。その痕跡を見る側に発生するもうひとつ別の時間も扱うからだ。

 例えば描く/書く行為にとって新しさとは何か?と考えてみれば、ラスコー洞窟にクロマニオン人によって書かれた線描より、約2万年後に同じフランスで行われている”DRAWING NOW”で見られるような現代ドローイングの方が新しいとか、中国の王羲之の書より現代書の方が新しい、という議論には意味がない。いつの時代においても、刻まれた線を辿るこちら側の内面に、生き生きと再生される時間の方が重要なのだ。運動の痕跡の中に留められた記憶が新しく喚起される時、行為の主客は反転する。

 その意味で、ドローイングはレコードのような一種の記憶装置とも言えるだろう。見る者の内面の針で何度でも新しく再生され得る痕跡。だからこそ、キース・ヘリングの言葉を借りれば「ドローイングは魔法を通して生き続ける」のである。

2019年1月30日 
宮城県美術館”アートみやぎ2019″展覧会カタログに寄稿

 

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